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秋の養生法 2018.09

 
  「健康とは?」と問われた時、明確に答えられるでしょうか。WHO(世界保健機関)がその憲章の前文の中で「健 康」について、次のように定義しています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体 的にも精神的にも(霊的にも)、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」 とかく私たちは、生理学的な病気のない状態だけで健康であると考えがちです。しかしWHOの定義によると人 生の目的や生きがいをみつけ、社会生活を送る上で苦痛や不自由がなく平和な心で幸福感を持ちながら健全な 信頼関係を築き、何らかの形で社会に貢献している状態が「健康」だというのです。
 連日、体温より高い気温の続く7月中旬の山梨、クーラーのない家で頭に濡れ手ぬぐいをのせながらこんな 問いかけをされました。東京都在住の薬剤師であり、漢方薬・生薬認定薬剤師でもある鈴木典子さんのお話を聴 く機会があり、開口一番この問いかけがあったのです。きっかけは6月議会、私の再質問の折、給食費無料か医 療費かどちらをとるかのような話になってしまい、大人の医療費さえ屋台骨を揺るがしているこのご時世、医 療費をかけても健康にならないのはなぜかという七不思議に行き当たってしまったのです。いつも様々な問題 と向き合っている山田 征さんがこの議会を傍聴して下さり、「黒岩知事が未病を治すかながわ宣言というのを していますよ。」と妻が征さんから鈴木さんのことも一緒に教えてもらい、9月議会に向け未病や養生について の勉強会開催という運びとなりました。
 四季のはっきりした日本には季節ごとの養生法があり、ただ病気を予防するのではなく、より積極的に健康 を目指すための日々の過ごし方が養生だと言います。また、検査では異常が見つからないのになんとなく不調 が続いている状態、あるいは自覚症状はないのに検査では異常がみられる状態を「未病」といい、2000年前の中 国の医学書「黄帝内帝」にある概念で「名医は病気になってからの患者を治すのではなくて、未だ病気になって いない人を治す」とあり、漢方の基本となる考えだそうです。神奈川県が未病の見える化として「舌診」を一般の 人でもわかりやすくポイントをまとめたものをスマホでも見られるように公開しているのですが、その場にい た人たちの間で大いに盛り上がりました。なぜなら鈴木さんがまるで占い師のように次々と舌を出している人 の気質、健康状態、改善策まで言い当ててしまったからです。お盆が過ぎた頃、鈴木さんより秋の養生法につい て書いた資料が届きました。みなさまにご紹介したいと思い巻頭言に取り掛かったのですが紙面が足りなく なってしまいました。「舌診」など直接鈴木さんよりお話しを伺ったり、体験する機会を是非今後もつくって行 きたいと思っています。最後に資料の結びにあったメッセージを書き添えておきます。「養生は免疫の貯金で す。若い時からこその積み立てが大切です。人の一生から病気や老いなどある時期だけを切り離して考えるこ とはできないからです。自分のからだからの声に耳を傾け、合図を見逃さずに気づいて手を打ちましょう。自分 のからだを意識して観察して過ごせば、未病の段階で病気の原因を取り除けます。「自分のからだは自分で守 る!」と決め、これからの長い人生をいつまでも健康で自分らしく生きていくために、日本の四季に応じた養生 法を身につけていきましょう。」

われらの子ども、地域の宝 2018.06

 
 星団新聞裏面の「なとり義高 政策早見図3」を見てください。図の一番上に「給食完全無償化」と揚げています。私がどうしても中央市で実現したい政策です。学校給食の歴史は、欠食児童・貧困児童に対象を絞った救済方法から子ども全員の食のセーフティーネットとして発展、定着してきたことを教えています。現在、7人に1人の子どもの貧困を学校給食が救っています。つまり、学校給食は学校を通じて提供できる社会保障なのです。お隣の韓国では、貧しい子どもたちだけが無料給食を申し込むのは貧困の烙印を押されることになるとの考え方から2000年代以降、小中学生全員の給食を無料にする自治体が増えています。小学校の94%、中学校の76%で学校給食が無料化されているそうです。日本でも近年、規模の小さな町や村を中心に、すべての家庭を対象とする子育て支援として給食費補助制度を設ける自治体が増えています。2015年の調査では、小中学校の給食の補助制度を設けている自治体が全国の約2割、199団体ありました。(毎日新聞2016.2.22)日本は憲法で義務教育が無償であるとうたわれながら、授業料と教科書は確かに無料ですが子どもが学校に通うためには多くのお金がかかります。しかしながら、学校給食費を「広義の授業料」として無償化の対象として検討してきた地方自治体があります。埼玉県滑川町です。その徹底した普遍主義の対応は、公立・私立学校などに関係なく町の子どもすべてに対して平等に給食費の完全無償化という姿勢を貫いています。親の所得に応じた選別主義の保障制度ではすべての子どもを救うことはできません。 鳫 咲子氏(跡見学園女子大学マネジメント学部教授)は、「学校給食は、子どもの貧困に対して、食事という現物を支給する制度として有効です。今日においても、なお経済的な理由によって生じる子どもの食生活格差は大きく、学校給食にはその格差を縮小する機能があります。給食無償化の費用は、子どもを選別することなくすべての子どもの食のセーフティーネットを確保するための費用であり、社会全体で負担すべきです」と語っています。中央市の子どもは地域の宝、われらの一番の宝です。そして、この思想が未来の地域行政を担う力となり国をも動かす原動力となるのです。

種はみんなのもの 2018.03

 
 議員として恥しく悔しい思いです。知らなかったでは済まされない勉強不足を痛感しています。昨年4月種子法廃止(2ページの一般質問参照)が国会で可決されました。ちょうど共謀罪成立の陰でマスコミ報道も議論もされないまま今年4月には施行されます。
 「日本農業の歴史で、人びとが品種に関心をもつようになったのはずいぶん昔のことのようだ。奈良・平安時代の遺跡から出土した木簡に、すでに稲の品種名が記されているというから、そのずっと前から品種は存在したのだろう。驚かされるのは、その木簡の記載と同じ複数の品種名が江戸中期の土佐の農書「清良記(せいりょうき)」にあることである。「清良記」といえば、わが国最古の農書といわれる。同書には、水稲だけでも早・中・晩計60品種、陸稲12、インディカ8、大・小麦それぞれ12品種、ほかに大豆・粟など多くの品種名が列記されている。」西尾敏彦氏(農学博士・1990年農水省を退職 ) 農文協ブックレッド18 「種子法廃止でどうなる?種子と品種の歴史と未来」執筆より引用。
 国は、企業の種子ビジネス参入を農業競争力強化策の一環と位置付けましたが、その中心にあるのが遺伝子組み換え種子です。2000年の時の流れを一代、また一代と少しずつ積みあげ良い種に品種改良してきた先人の智慧は一瞬にして消え去るでしょう。しかも化学肥料と農薬の3点セットで世界制覇を目指しています。まさに「種子を征する者は世界を征す」の言葉通りのことが予想されます。そして知的財産権を楯にその種子は、企業の所有物となり農家の自由にはなりません。世界の潮流は、2008年の世界食糧危機を契機に小規模家族農業に方向を転換しています。2014年にはFAO(世界食糧農業機構)までが農薬や化学肥料を使わずに、生態系の力を活かすことで近代化農業と同等以上の生産力を発揮できるとされるアグロエコロジーこそ、今後の農業が進むべき道として国際的な普及活動を開始しています。農業の未来は深刻です。ウイルスや病中害、気候変動がさらに激しくなり被害は増大する傾向にあります。その時、多種多様な地域の種が確保されている事で同一品種の種が世界的に壊滅状況にあっても被害が最低限に抑えられ、食料保障が得やすくなるでしょう。
 メダカは稲の伝来と共に日本にやってきました。2000年前、日本列島に渡ってきた稲は、この島の隅々にまで根づくため、長い歳月をかけて、地域地域に適する多様な品種に育ってきました。同じように祖先の絶え間ない努力により湿地が見事な田に移り変っていくと、そこにメダカも移り住んできました。そして、長い時間をかけて広がり、日本列島に定着しその中で地域ごとに異なる遺伝子グループを作ってきました。種子と同様に地域性と多様性、永続性が大切なのです。田んぼは命の宝庫です。その命は、いちから人間がつくった訳ではありません。神と自然の長きに渡る恩寵が多様な命を守ってくれているのです。田富に野生のメダカが生き残っていた意味を改めて考えてみる事で、これからの農業の在り方がおのずと選びとられていくのだと私は思います。


排水路改修工事のためのメダカ救出大作戦2 
排水路改修工事のためのメダカ救出大作戦2 2018.2.9
田富小5年生・農政課・時習塾
中央市野生のメダカ生息地

高校生の99%が持っているスマホ 2017.12

 
 去年の夏、スマホの電波が届かない山間で子どもたちとキャンプをした時のことです。(星団新聞40号参照)普段はスマホを気にする子どもたちも、つながらない機械を投げ出しとうとう友達とのおしゃべりに夢中になり、みんなで考案した遊びに熱中し始めました。暗闇に寝ころび夜空の星を眺めていると「あっ!流れ星」と声が上がります。自然とつながる瞬間、何やら大きな力が子どもたちに入った気がしました。スマホでは味わえない手ざわりがそこにはありました。
 私たちが22年間続けている「川原の四季」自然観察会、季節は春のことです。川原にはたくさんの雑草が生えています。この草花で五感を意識的にフル活用した草花あそびをします。このあそびこそやってみなければわからない体験になるのです。意外な手ざわり・におい・味わいに子どもたちはダイナミックに驚きます。この驚きがどんな感じなのか言葉で伝えようと子どもたちは必死です。なめらかなのに、止まってしまう、「ゴムみたいなカンジ」とか、「コーラのにおい」「ジャスミンのあまさみたい」とかイメージをふくらませます。見たり、聞いたりよりむしろ、原始の感覚を研ぎ澄まします。すると、大人はスマホで調べるために植物の名前を知りたがりますが、子どもたちはどんどん他の葉や花に実際に触れ出します。同じように見える葉が実はやすりのようにざらざらしているのにも気づきます。自然の中での出来事や生き物たちとの出会いは、私たちに大切なものを伝えてくれています。そこで出会う子どもたちは、いつもいきいきとして新鮮で大人たちに驚きを与えてくれます。
 レイチェル・カーソンは著書「センスオブワンダー(自然の神秘さや不思議さに目を見はる感性)」の中で、「この感性は、大人になってやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。」と言っています。子どもの未来にとって大切な感性を育むために、私たち大人が子どもたちと一緒にスマホのつながらない自然に出かけてみませんか。子どもたちへの生涯消えることのない贈り物を見つけに。


ほたる 2017.09

 
 NPO法人こどもサポートやまなし(2013年5月設立)は、学習支援、生活支援などを中心に困窮する子どもの諸問題について活動しています。この間の相談は228件、生活困窮やDV、病気など内容は多岐に渡り複数の問題を抱えているケースなど解決が難しいものも多くあります。まるで絡んだ糸を丁寧に解いていく作業に似ています。活動に大切なことは、子どもや家族との信頼関係を築くことです。自然の中での夏のキャンプ、ほぼ毎月ある伝統行事を意識した食の交流「四季のあそび場」、遊びを通した小さい子ども中心の「ともだちひろば」や大人も楽しみなクリスマス会などもあります。このような活動は、ほんの入り口です。子ども食堂や学習支援もこれに当たります。つまり苦難を抱えてしまった家族を発見するための仕組みであると言えます。地道に付き合い続けるから信頼を得られます。そこで初めて支援体制が活きるのです。
  詳しい報告は控えますが、最近の事例を紹介します。高校2年生の女の子が父親の飲酒時の暴言・いやがらせのため家出してしまいました。事情を聴いた○市と担任の先生からの連絡で、当会の担当理事が対応しました。私たちのNPOには、DV被害者が緊急避難時に利用している通称、「ほたる」があります。個人の所有している家を提供していただきシェルターとして活用しています。ここにしばらく住みこれまでと同様に通学し、母親や学校などと連携して無事に問題を解決しました。現制度ではこのケースは、児童相談所の案件になり第三者の介入がしづらくなってしまいます。保護されると学校を変える、住まいを変えるなど子どもを守るために有無を言わさずの措置になります。多感な年頃であり、進路や就職に大切な時でもあり、子どもに大きなリスクを与えてしまいかねません。子どもを中心に問題を解決し、子どもの考えや権利を大切にするのが本来の支援のあり方ではないでしょうか。しかし、行政機関には、速やかに使えるシェルターがありません。このシェルターのお陰でメンバーの手厚い手助けと見守りもあり、安全が確保され再スタートができました。更に、第三者が関わり調整役になることで当事者もひと息つけ、からんだ糸をほどくきっかけを自身でつかみ良い結果が得られるのです。このほたるの家を利用して救われていく人が少なからずいます。行政の制度だけでは、このような困窮する子どもや若者たちに寄り添いサポートしていくことには限界があります。これらの重い諸問題を自分のことのようにとらえ、自然に寄り添えることのできる人、そんな心あるお人好したちは間違いなくこの地域にも存在しています。「ほたる」のような場がありそれを支える人がいる。地域に一つでも多く困窮する子どもや若者の居場所を増やしていきたいです。

一日一生 2017.06

 
 それぞれの場所で自然な看取りができるためには、24時間体制で訪問診療をしてくれる医師の存在が不可欠です。40年前の日本のように終末期の高齢者が病院や施設、自宅で延命措置を受けずに安らかな死を迎えられるかどうかの鍵は、医師が握っているのです。
 2月に母が脳幹血栓で急逝してから87歳の父は、持病が悪化し家族の見守り、介護が必要になってしまいました。幸い弟夫婦、孫たちとも一致団結して24時間の協力体制がとれましたので、今までどおり母と暮らしていたマンションで過ごすことができました。かかりつけ医を持たない二人は、救急医療体制を備えた急性期の病院に通い、同じ主治医から一緒に診察を受けられ大満足していました。しかし、濃厚医療にメリットがなくなった状態になった時、つくづく両親に必要だと思ったのは40年前まで続いていた「往診」です。いつでも診てくれる医者がいてくれると思えるから本人も家族も安心していられるのです。夜間の恐怖からくる痛みも、パニックも減少していくのです。往診をしてもらえた時代には、8割の人が自宅で家族に看取られながら死を迎え、2割が病院で死を迎えていました。しかし、現在は、その逆になっています。
 折しも国は、地域医療に医療行政をシフトしていますが、訪問医療や看護、介護に手厚い制度をつくらなければ実現は難しいでしょう。そもそも、その財源はどうするのでしょう。日本は世界一の長寿国であるのに高齢者医療が確立されていないのです。日本が誇る医療制度、国民皆保険を破綻させないためにも、高齢者の終末期の医療の在り方について私たちは倫理感を持って考えていかなければなりません。なぜなら欧米には寝たきり老人は存在しないのですから。
 ここに父を介護した毎日をみんなで綴った2冊のノートがあります。 その中に、「生老病死」の四苦の苦しみをどう乗り越え生きていったらよいのかを書いた「一日一生」という本を父の枕元で読み語ったことが書かれていました。 「一日一生」今日この日に、「ありがとう」とオヤジに伝えられて良かったです。そしてこの2冊の「おじいちゃんのノート」はみんなにとって宝物になりました。
 この地球に「絶対」はひとつしかありません。それは、生まれた命は必ず死ぬということです。

謹賀新年 2017.01

 
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2017年が、みなさまそれぞれにかけがえのない大切な日々となりますよう祈念しています。めぐる季節の確かさは、新しい春の輝きまで約束してくれています。このことがどんなに日本という国を穏やかなものにしているか痛感しています。あたり前にあるひとつひとつのことを、初心に還り手にとり感謝していく始まりの年にしたいと思います。
  うれしい取り組みの報告をします。私は以前から子宮頸がんワクチンの副作用の問題を取り上げてきました。現在、県内に10〜20代の女性6人がワクチン接種による副作用を訴えています。これまでに身延町、南部町では独自の救済措置が始まっていますが、昭和町でも昨年12月議会で救済措置の予算化が決定し、また健康被害調査と支援を求める請願が甲府市、南部町で採択されています。被害にあった子どもたちは、原因のわからないまま痛みや苦しみにさらされ、医師にも周囲にも理解されずに孤立していました。私が、こどもサポートやまなしに相談にきたFさん親子に出会ったのは昨年11月でした。「分かってもらえる人たちに出会えてうれしかった」と語ったその言葉が悔しかったんだろうなと、今も私の胸を打ちます。5年間苦しみ、大切な時間と青春を奪われてしまったこの子に「治ったら何が一番したい」と聞きました。ぱっと輝いたその時の笑顔は忘れることができません。この問題は始まったばかり、TPPとも大きくかかわる大切なテーマです。
 さて、昨年12月9日衆議院に続き参議院でも日本の未来を揺るがす最重要法案が可決されました。TPP協定と国内整備をするための関連法です。参加12か国中、関連法まで含めて完全に批准した国は、ニュージーランドと日本だけです。米国では国民の7割が反対し、すべての大統領候補者がTPPに反対していました。米国の多国籍企業600社が望む経済の新ルールに、就任するその日に離脱すると予告したトランプ新大統領は、どうしてそのような超国家企業に反目するような発言ができたのでしょうか。米国では、企業献金は日本とは比べものになりません。次のページの山梨日日新聞の「時標」を読むに至って、私はやっと、その理由が理解できました。つまりTPPが流れても、「TPP状態」はこれからもさらに日本にとってはマイナスばかりの一方的な「日米並行協議」という2国間の貿易交渉で続けていけると新大統領は考え、「1%」の大富豪の望みを叶え、同時に国民の意向にも沿うことができると判断したのでしょう。米国が批准せず、発行の見通しもないのに、わざわざ国会で国内関連法案までつくって決議する意味がここにあったのです。
 今日、富裕層の上位10%が世界の富の87.7%を所有しています。日本では2%の人たちが、1億2000万円以上の純資産という富を得ている一方で、ひとり親などの大人1人の世帯では子どもの貧困率は2人に1人。先進国では最悪です。子どもたちにあたたかい次の春も連れてこなければなりません。地方議員としてやれることはまだまだあります。TPPと真逆の世界をつくるのです。私たちが伝統的に大切にしてきた世の中、お互いを助け合い支え合う地域社会を再び創りあげるのです。手のひらからこぼれ落ちてしまう弱者、小さな命の声を私は拾い続けていきたいと、年頭に決意いたします。


希望をもてることの大切さ 2016.09

 
 皆さんは、「子どもの未来応援基金」をご存知でしょうか?
 2012年日本の子どもの貧困率が16.3%となり、先進国の中でも高い数値を示しました。親子二人世帯の月額収入が、14万円以下(生活保護費以下)で生活をする低所得層は、1992年の約70万世帯から2012年には約146万世帯と倍増しています。このような状況化、政府は日本財団と協力して作年10月、低所得者世帯の子どもを支援するための基金「子供の未来応援基金」を創設しました。子どもの貧困対策を一億総活躍社会の一環として国民運動とするためのものですが、すべての子どもたちが、夢と希望をもって成長していける社会の実現を目指しています。基金の広報活動費として2億円をかけてスタートしましたが、5か月間に集まったお金は2千万円程度と低調で、広報活動費を基金にした方が良かったのではと揶揄されるなど基金集めは難航していました。その後、経済界の協力もあり今年5月末の時点で2億円が集まりました。この民間の基金を活用して、困窮する子どもの支援活動を行うNPO法人などへ、9月から支援金の交付を行うことになっています。しかしながら、継続的・発展的に腰を据えた活動にしていく為には、安定した活動資金の確保は絶対条件です。寄付だけに頼るのではなく政府によるきちんとした予算化が将来的には求められます。なぜなら一時期のブームでは済まされない重い責任が付きまとうからです。
 今私は、ライフワークとして「NPO法人こどもサポートやまなし」で子どもの人権擁護活動に取り組んでいます。学習支援、生活支援、親子食堂など行政ではなかなかできない様々なケースの解決にボランティアで関わっています。8月3日・4日は、黒平いこいの里でキャンプをおこないました。実行委員長は高校生、大人はサポート役に徹します。自分がみんなに呼んでほしい名前をそれぞれの名札に書きます。私の名前は「よっちゃん!」です。食事作りは最も奇想天外です。ナント色付き餃子。黄色餃子はウコン、黒餃子は海苔・・・「う!」と思いながら食べるとこれがおいしい!夜は花火。山の天気はコロコロ変わるけど雨。外を見ながら止んだら即花火だ。本職の花火師から仕入れた花火を存分に楽しむ子どもたちの笑顔は、エネルギーに満ちていました。スマホやゲーム、テレビが無い時間を自然の懐に抱かれて過ごす中で、子ども自身がなぜ勉強するのか、生きるとはということについて、対話を深めます。中でも、先輩が話す体験談にはみんなが集中します。年の離れた弟の面倒を保護者の替りにみながら、自分の夢に向かって懸命に生きる子が語る話は、誰一人として無駄口をたたかず真剣な眼差しで聞きいっていました。私たち大人がその夢を応援する。私は簡単にはあきらめないし見捨てないと心でつぶやいていました。「希望」を持つことの大切さと大きさ、厳しい境遇から夢を叶える、そんな成功事例が助けられる側から今度は助ける側に成長させます。ひとつの成功が、多くの子どもたちの未来を応援することに繋がります。
 現在の貧困は関係性の貧困であるといわれています。見えずらい子どもの貧困問題、子どもたちが生まれた家庭環境によって将来が左右されないように願い、私たち大人がまずは優しいまなざしで、注意深く子どもたちを見ていくことが大切ではないでしょうか。

私の今を支えるもの 2016.06

 日本で初めて、住民投票条例制定を求める直接請求運動が起きたのは立川市です。星団新聞37号(2015.12.1発行)で紹介しました「土地に杭は打たれても・・」の米軍立川飛行場拡張計画への反対運動が勝利した後の、1979年のことです。残念なことに制定には至りませんでしたが、基地跡地利用に関する市の態度決定に住民の希望を反映させる為のものでした。その後、住民投票を有名にしたのは、新潟県巻町の原子力発電所建設の是非を問う住民投票でしょう。’96年この結果を受けて建設中止を勝ちとっています。 紹介した2つの事例に共通するのは、地域の未来をかけた大きな問題であること、長きに渡る純粋な市民活動であること、そして国など巨大な権力を相手としていることです。
  山梨では近年、笛吹市のアリーナ建設計画、南アルプス市の庁舎新築問題の案件でこの動きがありました。南アルプス市では、市長選に発展し後に行われた住民投票では、庁舎は新築せず増改築することが決定されましたが尚混迷が続いています。中央市でも、田富庁舎の増改築に反対する市民グループが住民投票条例案を提出し、5月19日の臨時議会で否決されました。
  これは、平成の合併がもたらしたマイナス面だと私は思います。国が主導したこの合併は、複数の町、村を一つにしました。企業合併で考えれば施設や人員を減らし、余剰資産を整理して体力を整えていくのが当たり前な事です。常に、スピードと10年20年先を観る経営判断が求められます。しかし、行政は効率と利益を優先させるものではありません。丁寧な合意形成に時間をかけ、住民の意見やニーズを大切にします。中央市庁舎市民検討委員会は、5年前の2011年すでに「新築する必要性はない」と結論づけています。市ではこの提案に基づき庁舎整備の方針を、増改築を前提として進めてきました。次ページの新聞記事にあるような旧3町村による2006年に合併した当時の協定書そのままの方針を推進出来ませんでした。理由は、新たな用地を確保して新築するには、経済情勢や市の財政状況がそれを許しませんし、道州制など更なる合併の可能性が考えられ費用対効果が低く、莫大な事業費が必要になるからです。また、現在ある庁舎の耐用年数・耐震性も充分確保されているのです。
 一方で市民の声を聴くさまざまな仕組みがあります。審議会や検討委員会、パブリックコメント制度、要望や陳情、請願等も有効な手段です。直接請求の前に多くの手段を設けています。これらを使いこなすのも大切な住民運動であり、これに応えることこそ議員の役割だと思っています。突然の請求で充分な議論の機会を作れなかったことが残念でなりません。私自身12年前、住民発議による合併の枠組みについて問う、住民投票条例を旧田富町に請求しています。この時のまっすぐな思いと行動が、政治家としての今の私を支えています。  


一流の田舎をつくる 2016.03

 
 昨年11月、福島で開催された全国市議会議長会フォーラムで、私が今まで考え願っていたまちづくりの根本姿勢とぴったり共感できるお話を伺いました。なんとか、山梨でも政治家たちに聴いてもらいたいと思い実現したのが、2月4日の山梨県市議会議長会後期議員研修の講師役重眞喜子(やくしげまきこ)さんの講演です。役重さんは現在、花巻市コミュニティーアドバイザーですが、東大法学部卒の元農水省キャリア官僚という珍しい肩書きがあります。都会育ちの彼女がなぜ東北岩手の東和町に住み、牛を飼うという数奇な人生を歩んだのか。
 農水省の農村研修で「大草原の小さな家」を夢見る乙女が本物の田舎と出会いすっかりとりこになってしまいます。当時の町長小原秀夫さんの助力で、役重さんは農水省を辞めずに町に異例の出向という形でやってきます。「理念のないまちづくりはあり得ない。『お上を』を向くのではなく、『住民』を見つめよう。」という言葉を残した小原さんは、阪神大震災の被災者受入条例を制定したり、自主減反を提唱したりと先駆的な行政手腕をふるいました。やがて、農水省を離れ東和町に定住し牛を飼い、同僚のカズちゃんと結婚し、男子を出産し4ヶ月後に重い病気にかかります。その中で彼女はいつも回りの人に支えられてきたことに気づきます。「すべてのこの町の人たちが、なぜいざというときに自分のことよりも他人のために一生懸命になる事ができるのか。それは、皆、小さいころから隣同士が当たり前のように助け合い、手を貸し合って生きていくのを見て育ったからだ。そうでなければ生き抜いてこれなかったからなのだ。厳しい自然の中で、人間という小さく弱い生き物は、支え合い、時には自分を抑えながら協力し合わなければ、生きていけない。その大切な記憶は、いまだ農村の人々の間に、相互扶助の慣習や制度という形で息づいていたのである」「はみだしキャリア奮戦記・ヨメより先に牛(ベコ)が来た」(家の光協会2000年発行)
 まちづくり=コミュニティーを造るには、そもそも集落が生まれた何百年も前からの途方もない時の流れが必要です。ここリバーサイドタウンは1世代〜2世代40年に満たない歴史しかありません。豊富では浅利与一公にさかのぼる源平の時代から数百年もの死線を越えた人と人の関係があったことでしょう。だからこそ、伝統や風習、祭りなど地域にかけがえのないものが生み出され今に伝わってきたのです。地域に生きる覚悟、まちづくりにかける情熱なくして歴史の積み重ねはないのです。 地域創生、一億総活躍社会が叫ばれる中、「地方から都会への人の流れを変える」と繰り返しいわれていますが、「コンパクトシティーの名の下に二流の東京をつくるより、都市を支える一流の田舎をつくる。」と役重さんは講演会でばっさり。ふるさとを持たなかった彼女に、農村という営みの中で、これまでに出会った大切な市井の人たちの伝言(ことづて)が託されているのです。

土地に杭は打たれても 2015.12

 
 「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」この言葉は1955年砂川町で生まれました。まさに私が誕生した年です。還暦を迎えた今、団結と連帯、自由と抵抗を金字塔とするこのような力強いメッセージを大切にあたためている所です。
 昨年7月、安倍内閣は集団的自衛権を合憲とする閣議決定の根拠に砂川裁判の最高裁判決を引用しました。また、本年9月の安保法制を国会で議決する際にも、再び砂川判決を悪用しました。砂川闘争とはいったいなんだったんでしょう。どうして政府がこれを引き出してきたのでしょう?1955年から始まった米軍の立川飛行場拡張計画に反対する地元農民や学生、労働者が町ぐるみでたたかい手に入れたものは、住民の生活と地方自治を守るというとても大きなものでした。67年に基地撤去を主張する美濃部都知事が当選し、翌年には米空軍司令官が立川基地の拡張を中止すると発表しました。69年には政府も収用認定取消を閣議決定し、砂川闘争は勝利したのです。
 さて、もうひとつ特記することが「伊達判決」と言われるものです。1959年東京地裁・伊達秋雄裁判長は、砂川事件(1957年7月8日、基地に立ち入ったとして23人の労働者・学生が刑事特別法違反で逮捕され、7人が起訴される)で「駐留米軍は憲法違反、基地立ち入りは無罪」と判決。しかし、高裁をすっ飛ばした跳躍上告を受けた最高裁は、わずか8カ月のスピード審理で伊達判決を破棄しました。(後に被告たちは有罪となる)この最高裁判決には2つの柱があります。「安保条約は違憲ではない」「安保条約のような高度な政治問題は司法判断の対象外」と決定しました。日本の集団的自衛権に言及していないばかりか、有無が争われた訳でもないのに政府は「判決は必要最小限の集団的自衛権を排除していない」などとご都合主義的に解釈してしまいました。
 当時大学一年生だった島田清作さん(元立川市議)は、その日ちょうど19歳の誕生日でした。未成年者は逮捕されてもすぐに出られるといわれ、ピケ隊の最前列にたちました。「砂川は思い出話しで終わってはいけません。沖縄辺野古では砂川と同じように新基地が作られようとしています」と自由を守る大切さをとても闘士とは思えない優しい笑顔で語ってくれました。砂川の人々に遠く及びませんが心は同じです。10年掛ったリバーの下水道問題も心ある人と取り組めた成果です。この地に起きた問題に背を向けることなく正面から向き合ってきました。悲しい思いも、悔しくて憤りを感じることもありました。無関心さに腹立たしく怒りを覚えるとき、同じ気持ちで支えてくれるひとりの人にいつも励まされています。 これからもいきいきと、心も体もたとえ杭を打たれようとも強く生きていきたいと思います。


食育 2015.09

 
  私は「市民と実現宣言」の政策トップに、本気で守ろう!命と子どもとして、添加物や農薬、放射能を減らした学校給食の実現をあげています。私たちの世代には、パンミルク給食があり、それが当たり前だと思っていましたが、どうも昭和20年代の米国の農業戦略の結果だったようです。とれ過ぎた小麦の輸出先に敗戦国である日本が選ばれたのです。贈られた小麦粉と脱脂粉乳でこの給食がはじめられました。今ではすっかり食生活の欧米化が定着し、お米は余っているのに政府が助成金までつけた小麦のパン給食はいまだに健在です。
 チェルノブイリ原発事故をきっかけに、妻は食生活に関心を持ち生協の勉強会に参加しては「アメリカの小麦って収穫後に大きな体育館みたいな所に集められて、すごーい量の殺虫剤を上からまかれているんだよ。だって、船の中で虫が出たら困るでしょ。」とまるで自分が現場を見てきたように教えてくれました。確かに港湾で検査する時は防毒マスクを着用するそうです。特に飼料は開けたとたん、中に充満していた農薬が吹き出るので危険なのです。キレる子どもたちの原因のひとつは、農薬や添加物だらけの食事があり中高生の4割が生活習慣病予備軍だと言われて数年が経っています。
 私たちは毎日、食品の裏側からしか見えてこない「白い粉」を1日10g、年間4s食べています。白い粉とは食品添加物の事です。この魔法の白い粉は、さじ加減で本物そっくりの色・香り・舌ざわり・もちろん味まで作り出せます。長期保存ができるようになるため加工食品や流通販売には欠かせませんが、子どもたちには食べさせたくはありません。文科省は「学校給食は生きた教材」と言っています。学校給食こそが食育の場なのです。国が法律を作り食育を推進するのは、農業・健康・医療・教育・環境さまざまな問題を「食育」の観点から解決できると考えたからではないでしょうか。5日間、米飯給食にすれば、自給率が上り中央市の特別栽培米の「富穂」なら農薬が半分になり食農教育や地産地消も進みます。国民ひとり当たりの年間米消費量は昭和30年代の半分にまで減っています。朝食はパン、給食も麺類(小麦粉)だとしたら夕食になってやっとご飯が食べられます。新潟県三条市では、2003年秋から小中学校22校で完全米飯給食が開始されました。現在は、小学校24校・中学校9校の市内全校1万人の子どもたちと先生方が毎日主食の米を給食で食べています。「和食」はユネスコの無形文化遺産に登録されました。(2013年12月)米飯給食は、日本の食文化も守っていくでしょう。給食は体にいいものであって、おいしいものであれば子どもたちの大好きな雪見だいふくのようなものでなくても良いのだと私は考えます。みなさんは、どう思いますか?


不屈の青い海 2015.06

 
 「 辺野古基金」事務局は、スタジオジブリの宮崎 駿 氏の共同代表就任を発表しました。4月9日の発足から2か月足らずで、この基金には全国から2億5千万円を超える寄付がよせられています。また、昨年11月に81歳で亡くなった俳優菅原文太さんの妻文子(ふみこ)さんも共同代表の一人となっています。文子さんは「 現政権への不服従を示すため」宮崎氏は「沖縄の人たちがそういう覚悟をするなら、支援するしかない」とコメント。亡くなる1ヵ月前、沖縄県知事選で文太さんは、翁長(おなが)雄志(たけし)知事の応援演説でこう訴えました。

 「 政治の役割は2つあります。1つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう1つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと。沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。勝手に他国に売り飛ばさないでくれ」やっと実現した同窓生の菅官房長官との初会談で翁長知事の弁舌は、30分近く止まりませんでした。

  「 ・・・沖縄の危惧は、今の日米地位協定の中では解決しにくいと思っている。今まで沖縄県が自ら基地を提供したことはないということを強調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰されている飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含め基地に変わった。私たちの思いとは全く別にすべて強制接収された。・・・」 翁長知事自身の言葉で紡いだ発言のすべてが4月11日の東京新聞に紹介されています。

  住民の4人に1人が戦死した沖縄。戦後再び、この地から米軍は出撃しました。ベトナム・湾岸・アフガン・イラク戦争・・・。私たちはすでに戦争加担者になっています。沖縄は日本の面積のたった0.6%です。そこに全国の米軍基地の74%が集中しています。サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に置かれた沖縄。過酷な自治権獲得運動は、ある意味今でも続いています。5月17日、那覇市で開かれた普天間飛行場の辺野古移設阻止に向けた抗議集会には3万5千人が集結しました。辺野古の青い海の色を身に付けた参加者は、「 屈しない」と書かれたメッセージを青空に高く揚げました。24日、東京でも連帯し「 国会包囲ヒューマンチェーン(人間の鎖)」を開催。1万5千人が沖縄で起こっていることはいつかヤマト(本土)でも起こると住民自治、沖縄自治を訴えました。青い海の不屈が今もこれからも私の希望です。


私には夢がある 2015.03

  誰もいない寒風が吹きすさぶ広場で演説するのは正直つらかったです。それも1日8回。「あなたのその想いをなとりに言ってください。なとりにぶつけて下さい。なとりを使ってください。」私には、ずっと変わらずにやりたいことがあると街頭演説で熱く語りました。まるでゴリラのオスのように胸をたたいていたと笑われましたが、私自身は気付きませんでした。

 「Ihave a dream that one day/アイ・ハブ・ア・ドリーム・ダット・ワンディ」「絶望の谷間でもがく事をやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。」「・・・私には夢がある。それはいつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。Ihave a dream today 今日、私には夢がある・・・」(引用: http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html1963 ) 公民権と職と自由と平等を求めた25万人のデモ参加者に向かって語られた記念碑的なキング牧師の演説です。

 選挙後このスピーチを聞かせてもらう機会があり、私を動かし、立たせていたのはああ、これだったのだと思いました。私たちには夢があるから、絶望も困難も踏みつけ、幸せのむこうにある平和を希求しているのです。夢を決して消させないのです。私には夢がある。私は政治を決してあきらめない。私は政治で夢を実現する。みんなで輝く☆希望のまち、中央市にしたいから、一人でも仲間を増やしたい。本当にまっすぐに街頭で訴えてきました。お年寄りの看取りは命が輝く場にしたい。ちいさな施設で赤ちゃんからお年寄りまで一人ひとりが大切にされる壁のない地域福祉を実現したい。6次産業の推進をしたい。タウンミーティングで議会を市民のものにしたい。いじめ・虐待・貧困NO!、給食安全、無償化。子どもの人権を守りたい。私は、自分の子どもたちにしてやれなかった事を中央市の子どもたちとやっていきたい。もっとたくさんの夢があります。それが「 市民と実現宣言3」です。なとり義高と希望の星団の3期目の生まれたての夢です。1040名の支援者の夢であり、希望でもあります。雨に打たれる公園で、共に闘った仲間が輝き、立ち止まってくれたたった一人の胸にこの夢が届き、そしてある日、みんなの夢として叶う日が来ると信じることが出来ました。これからも私にとっては、市民活動の延長線上にある政治できっとこの責務を果たします。同時に、初めて任命された中央市議会議長として何ができるか模索していきたいと思います。


もちつきでつながる 2014.12

  こどもサポートやまなし事務局長の木村輝三氏が書いています。「子どもの幸せを阻害する問題として貧困、家庭内暴力、家族の離別、いじめ、病気、国籍に起因する問題等の事例が身近にある。(中略)・・・痛みを分かち合いつつ、終わりなく寄り添っていくことが、希望への一歩であると痛切に感じている。この活動の輪が地域に広がり、このような子どもたちと家族に『身内』として寄り添える隣人ができ、この会が不要となる日が来ることを願っている。・・・」 ボランティアだより2015年1月号・「頭心動」山梨県ボランティア協会発行

 めだかの里で収穫祭をやらなくなって5年が経ちます。もち米が毎年余ってしまうので昨年の12月26日、このこどもサポートやまなしで私たちは、餅つきをしました。つき手は、どこからともなく自転車でやってきたダルク(薬物依存者らの自立支援施設)の若い男衆たち。「 埼玉のキョウケン」と掛け声がかかりはやしたてられます。「 強肩」か「 狂犬」かよくわからないまま、「 野球やってただね」「 イケメンじゃん」などとギャグをとばすうち、みんなの顔がほころんできました。7臼つき終わる頃には、逃げ腰だった姿勢に腰が入り安定してきました。ジャンパーを脱ぎ捨てた初めての餅つき体験に達成感を感じたようで私は、とても嬉しい気持ちになりました。生きづらさも苦しみも悩みも忘れて、つきたての餅を子どもたちと分かち合い、心が通い合いました。みんなが餅つきを通してつながったと思った瞬間でした。

 私は、市政の中で自分の理想の政治を目指して地域で頑張ってきました。政治では解決できないことは、これまでの人生と同様にボランティア活動で続け、8年間をつないできました。木村氏は「 頭心動」の最後に「 かつての 『痛み 』の分かち合いが、今 『楽しい 』分かち合いの時に変わった幸せを感じた。」と結んでいます。痛みを共有し、共に支え合う「 身内」になり、助け合う「 隣人」になることで、輝く☆希望のまちを実現できるのです。


31球目も直球で勝負 2014.12

  「一つの制度や法律を作ったために、100人のボランティアを失うとすれば、私は100人のボランティアの側を選ぶ」 ソーシャルワーカーの先駆けメアリー・リッチモンドの言葉です。

 中央市も多くのボランティアに支えられています。ボランティアのチカラは、地域のチカラであり世の中を変えていく力といって良いでしょう。そして、この言葉は、議員としての私のあり方を示唆する言葉だと思っています。良いことだけを並べた制度にも、問題点やリスクがあります。メリット、デメリットをきちっと伝えることで、当事者が選択しやすい環境を整える情報開示が必要なのは言うまでもありません。私は、選択の基準として「経済」か?「いのち」か?。どちらを優先するか?と自らに問います。優先するのは勿論「いのち」です。それは経済価値では測れないものであり、地方の活性化にとっては欠かせない自然環境、風景、伝統的な技術などの地域資源。そして善なる人です。命は、どんなに科学が進化しようと 再生できません。失った命はもとに戻りません。命が吹き込まれ、脈々とつながれてきたものたちがグローバル経済によって根こそぎ破壊され、私たちは命の基盤を失いかけています。

 私たちが当選を果たした2011 年の3 月議会は未曽有の災害に始まりました。3月11日の東日本大震災そして福島原発事故。議会が閉会して駆けつけた3月27日、災害の地に立った時の光景と絶望はいまだ鮮明に記憶されています。あの時、みんなが生き方を問われたのです。天変地異を思わせる自然災害は今年になってからも続き豪雪、竜巻、土砂災害、大型台風、御嶽山の噴火、長野市北部の地震と次々に自然の脅威にさらされてきました。一方、生活困窮者、子どもの虐待、ひきこもり、認知症の人の徘徊など問題解決には地域で支え合うことの大切さを痛感した年でした。様々な制度ができていますが、そのはざまでこぼれ落ちたり、表面化しない見えない貧困など支援にはまだまだ問題が山積しています。

 私は、2 期目の最後である今日まで私を支えてくれた1016 人の力で活動を続けてこれました。1016 人の2032 本のボランティアの手に支えられ行動ができました。みんなのチカラが私のチカラになり、喜びと励みになってきました。今後も1人でも多くのボランティアを増やせるように活動していきたいと思います。「 いつでも、どこでも、誰のためにでも」の想いで問題があれば、「 共に考えます。即、行動します。みんなで輝く地域にします。」 そんなまちを目指して今より3 期、32回目の全力投球に向う覚悟と決断をしました。目指すは「輝く☆希望のまちへ」 です。


ストップ「依存症」社会 2014.09

  東日本大震災では東北地方が壊滅的な被害を受けました。復興に動き出した街で、ひときわ盛況なビジネスがある、それがパチンコ店だそうです。周りがいかなる状況でもやらずにいられない、それが依存症の正体です。

 「アルコール依存症は約230万人、ギャンブル依存症が560万人、インターネット依存症が270万人、そのほか(薬物依存、買い物依存、ゲーム依存など)合わせると2000万人近い数になるはずです。」

  「現代の日本が『依存症に依存する』社会構造になっていることです。依存症を誘発しやすいものが身の回りにあふれ、消費者を依存させることによって利益をあげるビジネスがたくさんあります。私たちは、そうした『依存症のタネ』に囲まれながら生活しているといっても過言ではないでしょう。」

と精神科医 和田秀樹さんの著書「『依存症』社会」の中で指摘されています。

  なかでも脱法ハーブと呼ばれていた「危険ドラッグ」(7.22呼称変更)の事件、事故が全国で相次いでいます。6月の池袋の8人の死傷者を出した乗用車の暴走事故などは、依存症者が手に入れた危険ドラッグを待ち切れずにその場で使ってしまったため起きたと言われています。山梨でも都留市に住む女子高生らが危険ドラッグ所持容疑で逮捕されたばかりです。

  「最近、危険ドラッグで入寮する若者が多くなってきている、その壊れ方が今までになくすさまじい、手がつけられない。」と薬物依存者らの自立支援施設「山梨ダルク本部」代表の佐々木 広さんが教えてくれました。「1グラム約3万円する覚せい剤に比べ、法規制のない薬は同じ量で1500円ほどと、安価で入手しやすい。また、インターネットの普及で誰でも手に入るようになった。」と8月13日の読売新聞の紙面でも語っています。同時に学校現場での予防教育の遅れを指摘しています。

 依存症について国際的なコンセサンスは、依存性の強いものについてはアクセスを制限することにあります。しかし、日本は依存症に対して認識が甘く、依存の対象となるものにフリーアクセスできる環境になってしまっています。海外では広告規制、安売りの規制、営業時間の制限などが常識です。台湾や韓国ではかつて日本と同じようにパチンコが大盛況でしたが、あまりに熱中するひとがでてきて事件を起こし社会問題となりました。台湾や韓国では法律で禁止され、パチンコビジネスは事実上崩壊しています。 所が日本では世界中の金持ちの依存症者のための「東京カジノ」を進める政治家がいます。まさしく「依存症社会」に依存させる総仕上げです。貧困から抜け出せないこびりついた原因のひとつがこの依存症問題ですが、意志が弱いダメな人間だけが陥るのだという自己責任論にすり替えられてしまっています。そうではなく依存症は、人間関係・家庭・人格・仕事までメチャクチャにさせる誰でも発症しうる完治はしないが回復可能な病気です。これ以上悲劇を生み出さないために、私たちは行動を起こす必要があるのではないでしょうか。子どもたちの未来のために!


その手を離さない 2014.06

 「老い」は「生きる」と同じ、「老い」は「生フ」に通じるという説があります。だとしたら、生きていることを肯定するのと同じように、老いも肯定されなければなりません。老人問題は、老人に問題があるのではなくて、老いにかかわることができない私たちの側の問題なのかもしれません。惚けが認知症と言われるようになり、年寄りと社会との関わり方が大きく変化している今、認知症800万人時代を迎えようとしています。年をとれば当たり前に惚ける、惚けは老化に伴う人間的変化なのだから認知症などと病人扱いせずにその変化について行こう。老いを楽しもう。ボケを受け入れよう。「生きたい」を支援しよう。

 4月から始まった深田恭子主演のNHKドラマ10「サイレント・プア」(6/3最終回)にはまっていました。主人公はCSW(コミュニティ・ソーシャル・ワーカー)で、ゴミ屋敷、ホームレス、DV、引きこもりなど「制度のはざま」で困窮する人を救い出していく物語でした。社会福祉協議会を中心に地域のチカラを引き出し、住民と一緒に苦しむ人たちを助けていく。福祉制度の網の目からこぼれおちてしまった人たちを発見し、行政と住民をつなぎ支えていくのがCSWの役割です。実はこのドラマ、全くのおとぎ話などではなく実在のモデルがいたのです!それは、豊中市社会福祉協議会事務局次長兼CSWの勝部麗子さんで、ドラマの監修も務めました。

「・・・『困った人』と言われている人は、その人自身が『困っている人』と考えてほぼ間違いがありません。ある高齢者の方から『話を分かってくれる人にもう出会えると思わなかった』と聞いた時は、孤立感の深さに言葉が出ませんでした。・・・」

「・・・いつ自分の家族が認知症になるかわかりません。地縁や家族、親戚のつながりが弱くなった今、何かがあると滑り台のように一気に困窮してしまう可能性は誰もが感じています。『支え合う地域になればいい』と思う人は、どこの街にもいます」

  (6月18日朝日新聞オピニオンインタビュー「地域のチカラ」より)

 支え合う地域になれば、認知症の方の徘徊問題にもSOSネットの立ち上げなど灯りが見えてきます。地域の発見力と寛容さ、CSWの解決力が加わることで、確かな地域のチカラが宿り一人ひとりを救うための仕組みができ、多くの人を救うこともできるのです。


私が再生可能エネルギー(自然エネルギー)をやめたわけ 2013.9

  私たちが埼玉県の小川町で開催されていた自然エネルギー学校へ通い始めたのは、16年前です。今年のように猛暑の中、イノシシ除けの電柵を太陽光発電で設置したり、家畜の糞や生ごみを発酵させてメタンガスをつくるバイオガス槽を見学したり、天ぷら油で走るバイオディーゼル車に試乗したりと、毎回楽しく実践的に学ばせてもらいました。自然が循環される中でのヨロク的な小さなデンキを手にし感動しました。「自然エネルギーに万能薬はありません。大事なことは、自分たちの暮らしを自分たちの手に取り戻すこと」と教えていただきました。そして、翌年、市民がつくる太陽光発電所長となりました。仲間とパネルの架台を取り付けました。バッテリーに蓄電し、当時実験的につくられたサトウ式というインバーターを導入し、災害時にも機能する独立型のシステムを完成させました。太陽がつくってくれるデンキは光り輝き、我が家の電気が自慢でした。所が、掃除機・炊飯器・動力ミシン・電気ストーブは、消費電力が大きすぎて時々止まってしまい、ラジオには雑音が入ってしまいます。寿命が短い蓄電池は3回変えました。冷蔵庫も3台壊れてしまい今は、あまり冷えずに壊れたままです。それでも自分でつくり出す電気が誇らしかったのを覚えています。

 一昨年の東日本大震災では計画停電がありました。今こそ独立型の太陽光発電の出番です。しかし、使うことができませんでした。日本中が大変な時、どうして我が家だけ電気を灯すことができるでしょう。できませんでした。周りと同じように暗く不安な中、ろうそく生活をしていました。助け合うのは電気ではないことを身を持って知りました。

 さて、そんな折「太陽光促進付加金」「再生可能エネルギー発電促進賦課金」という買取制度が矢継ぎ早に始まり、電気を使う全ての人、貧しい人からも税金のように徴収されています。なぜ投機や利益目的で大規模な風力や太陽光発電をして儲けている大企業に、私たちのお金を支払わなければならないのでしょうか。これは、原発と同じ国策です。地方行政は、もうこれ以上大切な予算をこのエネルギーのために使う意味はないと思いますが、いかがでしょう。


みえない公害「環境病」 2013.6

 国民ひとりに一台以上の携帯電話・スマートフォンを持つ時代。ワイファイでどこでもスマホが使える便利快適なユビキタス社会の到来です。その利便性と引き換えに携帯電話基地局などから発せられる電磁波は増え続ける一方です。逃げ場のないもうひとつの被曝「電磁波」が原発事故で放出された放射線と同様に、子どもたちの未来を奪わないかと心配がよぎります。

  今、「化学物質過敏症」や「電磁波過敏症」という病気に苦しむ人たちがいます。倦怠感、イライラ、不安、うつ症状、頭痛、耳鳴り、めまい、鼻血、睡眠障害、集中力や記憶力低下などの症状は、原発ぶらぶら病とも類似しています。化学物質過敏症は、農薬や建材、合成洗剤や防虫・芳香剤など多くの商品に使用されている化学物質に反応し生じる病気です。電磁波過敏症も携帯電話や携帯基地局からの電磁波(高周波)、送電線や家電製品からの電磁波(低周波)により不具合を生じる病気です。どちらの病気も目・耳・鼻・呼吸器・循環器・消化器・神経・内分泌器官など広範囲の臓器に悪影響を与えます。2011年5月WHO(世界保健機関)の専門組織のIARC(国際がん研究機関)は「携帯電話の電磁波が脳腫瘍を発症するリスクを増大させる可能性がある」と正式に公表しました。

 私は、携帯電話が弁当箱タイプだった20数年前から使用していましたが、当時はまだ利用料金も高く一般的には普及していませんでした。健康被害に関することにも知識がありませんでしたから、長時間使用して耳が熱くなったり、頭が重くなったりしました。ともかく普通の電話のつもりで、いつでもどこでも気軽に便利に使っていた記憶があります。携帯電話と電子レンジは同じ電波帯のマイクロ波を使用していて、「携帯電話は脳を調理する」と言われ出したのは、後年のことでした。妻には、「電子レンジ、「チン」と同じだよ。」とよく脅されましたので、それからはイヤホンマイクを使うようになりました。また、電気がある所には必ず電磁波が生じてしまうので楽しく非電化を試みてきました。

  電磁波は電気と磁気が絡み合ってできています。電流が流れると磁界が生じ、磁界が変動すると電界が生じる、その繰り返しが電磁波です。46億年前の地球は、太陽が作りだすX線、ガンマ線など危険な放射線(電磁波)で覆われていました。海や大気そしてオゾン層ができたことにより生命に有害な電磁波をカットし、多くの生命が誕生することができたと言われています。そして、私たち人間の体は脳から微弱な電気信号が流れ、各器官に情報が伝達され動くといわれています。自然界にない人の手で作りだされた電磁波が、体に違った情報を流してしまうことで電磁波過敏症を引き起こしてしまうのではないでしょうか?わずかな化学物質や電磁波でも体調不良を起こすかもしれない人がいます。それは、明日の「私」かもしれないのです。


動けない植物は、あらん限りの智恵を
      2013.2

 スミレの花をよく見ると、どの花にも下の花びらに筋のような模様があり、真ん中は黄色になっています。この模様と色は、虫たちに蜜のありかを知らせる目印「ハニーガイド」です。虫たちは花から花へと花粉を運び、やがてスミレの花は種を付けます。種にはどれも、白いものがついています。この白くてやわらかいものは、ゼリーみたいでアリたちのごちそうになるのです。巣に持ち帰り、白いところだけを仲間のアリと一緒に食べ、かじった後の残された種は巣から外に捨てられます。「こうして、スミレのなかまは、アリにおいしいごちそうを用意して、たねを遠くにはこんでもらいました。スミレが思わぬところに花をさかせるのは、アリがたねをはこぶからです。」 ( スミレとアリ/ 偕成社 発行 / 監修 多田 多恵子より)

 そんな種の世界に今、大きな問題が起きています。除草剤に枯れない大豆や殺虫耐性をもったトウモロコシ、ナタネなど遺伝子を操作された種の存在です。日本は、これら多くの農産物を輸入にたよっています。大豆400 万トン、トウモロコシ1600 万トン、米の生産量が800 万トンですから大変な量になります。(国産品は大豆6%トウモロコシ0%ナタネ0 .04%しか生産されていません)そして、そのほとんどが遺伝子組み換え(以下GM)作物であり多くは加工食品、食用油や醤油、家畜の飼料などに使われています。直接あるいは間接的にGM食品として私たちの食卓に知らずに登場しているのです。

 日本のGM 食品の表示制度では、豆腐、納豆、味噌程度しか表示義務がありません。しかも表示義務がある食品もすべて「遺伝子組み換え大豆不使用」などと表示されるか、全く表示されていないかです。そのため、私たちは日常的に大量のGM 食品を食べているのに、GM 食品を食べていないと錯覚しています。EU では安全性や消費者の知る権利を重視して、すべてのGM 食品に表示義務があります。GM作物は食の安全を脅かすばかりでなく、一度GM 作物が栽培されれば、コントロールできず、在来種の遺伝子汚染は避けられません。(自生GM ナタネの拡散問題)その点で「原発と放射能」とよく似ています。地域独自の固定種をなくし、地方独特の特産品、伝統や文化までも破壊すると危惧されています。

 イタリアのワイン農家から生まれたスローフード運動やGMO フリーゾーン(GM 作物のない地域)宣言を中央市でも広げていきませんか。



健康を知る権利  2012.12

 「ひとつだけ中央市に言いたいことがあるんです。」と友人の奥さんが切り出しました。こんな内容です。専門学校を卒業した娘さんが就職した会社には、社会保険が整備されていなかった為、仕方なく国民健康保険加入者となりました。自分で全額きちんと保険料の支払いをしているのに、本来会社員ならば毎年、会社で受けられる健康診断が全額自己負担になってしまうので、受診できないのだそうです。母親として、とても心配なので中央市では、希望する若者全員に、公平なサービスを受けられないものかという願いでした。

 雇用形態の変化から、全国では現在若年層の4人に1人が国保加入者です。(平成23年11月、厚生労働省医療保険に関する基礎資料「医療保険制度の年齢階級別加入者」より算出) 中央市では5人に1人の割合です。市では、30歳以上の国保対象者にはメタボ予防、改善のための特定健診・特定保健指導が1,500円で受けられます。しかし、30歳までの若年層は、子宮頸がん検診(自己負担1,000円)以外は安価で受けることができません。若年層の健康診査は、基礎健診で充分であり、多くの検査項目や高度な検診を必要としないので、多額の費用を計上する必要もありません。三鷹市や東村山市、大阪府茨木市や富士見市などは、無料または安価で若年健康診査を実施しています。

 自分の健康状態を知る権利は、誰にでもあるべきで自分の情報としてヘルスチェックができれば、健康への関心が育成されます。特に若年期での健康指導や疾病予防は、動機付けがしやすく重要であり、効果が期待できます。自分でできる健康チェックの仕方と対処法を若年層の健康診査の際に分かりやすく指導していくことが最も大切です。そうすることでヘルスプロモーションという考え方が、医療・保健の専門家たちと共有できます。ヘルスプロモーションとは「人々がみずからの健康をきちんと管理し、健康水準を自分で改善していけるようになっていく、そのプロセスそのもの」「ただ健康担当部門の責任範疇だけにとどまらず、人々の健康なライフスタイルや、ひいては幸福well-beingにまで及ぶもの」と規定されています。ここでも、私たちの主体的で積極的な関わりが求められています。

 

 

ナントカ長屋をつくろう  2012.9

 戦争で一年に3 万人が亡くなる紛争国は、そんなにはないそうです。今、日本は毎年3 万人以上が自殺しています。いじめを苦に死を選ぶ子どもたち、誰にも看取られず、ひとり息を引き取るお年寄りも後を絶ちません。可哀そうで心が締め付けられる思いです。見方をかえれば日本は殺し合いの戦場地。自分自身が生きのびるのに精いっぱい、人のことなど考えられない無縁社会なのです。

 1300 世帯、3200 人。自治会加入率100%、「孤独死ゼロ」を2004 年から実現しているマンモス団地が東京都内にあります。立川市上砂町大山自治会、そこには、1999 年初めて女性会長に就任した佐藤良子さんの存在があります。子育てや高齢者介護で孤立しがちな人たちを応援する「大山MSC(ママさんサポートセンター)」をすぐに立ち上げ、行政よりも早く問題解決し、行政に頼らない姿勢が先進的な取り組みとして評価されています。ふるさとづくり大賞総理大臣賞、全国防災まちづくり大賞を受賞し、「日本で一番住みたい団地」とまで言われています。

 一方、同じ立川市内の羽衣町では高齢母子世帯の孤立死が続き、明暗を分ける形で注目を浴びました。私は、この二つ事例を教訓に中央市に活かせないかと考えています。自治会の向こう三軒両隣の声掛け、人を助け人に助けられる自治会のあり方が、ギリギリのところで踏みとどまれる、不測の事態に対応できる力となります。顔の見える関係こそが、地域の安心を生み、地域力を高められるはずです。

 自治会活動は「大変ですね」と言われて「お味噌が切れたから買いに行くのと同じこと、生活に必要だからとやっている」と答える佐藤会長。夜遅くまで遊んでいる子どもたちに「おなかがすいたら、うちに遊びにおいで。ごはん食べさせてあげるから」と、声をかける。学校に居場所がない、親が嫌い、夢が持てないそんな彼らの話を聞く。周囲に悩みを聞いてくれる大人たちがいないため、自暴自棄になる子どもたち、そんな子どもたちを応援する佐藤さん。その思いは、江戸時代の長屋のような団地に再生することだそうです。

 無縁社会を地縁社会する。損得で物事を判断するのではなく、お世話になった地域に恩返し、そんなあつい心を持つ人が中央市にはあふれているはずです。これこそが、本来の地域資源です。
リバー長屋、山之神長屋、鍛冶新居長屋、ナントカ長屋を一緒に作りましょう!


までいに生き抜く  2012.6

 「までい」は東北地方で昔から使われている言葉です。「手間隙を惜しまず、丁寧に、心をこめて、時間をかけてじっくり」と言った意味があります。5 月27 日「フクシマからの風」上映会の折に監督の加藤 鉄さんから教えてもらった言葉です。この作品は、3.11 震災直後の5 月から夏の間、福島県飯館村と川内村に大地と共に生きる人々の生活を追ったドキュメンタリー映画です。飯館村は地域づくりの柱に「までい」を掲げ自然と共生する豊かな村として取り組んでいました。しかし、美しいこの地は放射能の高汚染地域となり、言い表せぬ怒りや悲しみに包まれてしまいました。この映画に登場する4 人の人々は、想像できない苦境の中、涙も見せず淡々と生きていました。山菜と薬草の研究をしている現代の仙人は、山の動物たちと共生しています。ドブロクづくりの名人は、妻を亡くしながらもモリアオガエルの卵のふ化を待っています。動物や虫たちや草木などと共にいのちを繋げ、あたり前に暮らす登場人物から人としての生き方が伝わってきます。「小さな行為が大きな世の中の動きまで繋がっていると」。

 加藤監督は「私が何よりもこの人たちに惹かれたのは、大地に生きる底力を、自然に包まれた生命力というものを、さりげなく見せてくれたからかもしれません。この人たちの輝き、しなやかな強さ、優しさはどこから来るでしょう。今では、この人たちこそ、暗闇の中で光る蛍なのだと思うのです。」とメッセージを寄せています。

 未曽有といわれる大震災を体験してもなお、人々の多くは便利さや快適さを相変わらず求め、経済優先社会はとどまる所を知りません。スピードと効率を追求し、凝縮した社会が原発を生み出したのではないでしょうか。手づくりを忘れ手間を惜しんでいる社会が人々の仕事を奪い、心の病や自殺者を生みだしているのではないでしょうか。

 どんな困難や苦境を抱えても、苦しみや悲しみに覆われても、「弱い者を踏みつけにしない」「命を大切にした」世の中でありたいと私は願います。私の信条とも通じる「までい」。じっくりと手間隙を惜しまず、丁寧に、心をこめた政治活動を目指していくと誓います。名もなき小さな人たちこそがいのちの讃歌を響かせ、あらゆる生きものとまでいにつき合い、耳を澄まします。これからの困難な時代に、この映画に登場するような枠にはまらない芯のある人たちこそが、希望なのです。

サウダーヂ2012.3

 気の遠くなるような自然の営みに多くの人が土と関わり、生活の糧として守り、創ら れ築きあげられてきた景観。私はその風景を守りたいと思います。

  2月23日山梨県が制定した初めての「富士山の日」、特集が山日新聞で組まれまし た。「平成やまなし冨嶽二十七景」と題して、27市町村から望む27枚の富士山の写真が 載っていました。目を引いたのは、昨年オープンしたイオンモールの東側にあたる昭和 町山伏川の桜並木から望む富士の写真でした。この場所は、山梨県出身の富田克也監督 作品「サウダーヂ」に象徴的な場所として登場しています。(2011年11月公開、第33回 ナント三大陸映画祭グランプリ「金の気球賞」を受賞)映画は、かつての経済大国では なく格差、移民問題といった社会状況を抱えている日本を、どこにでもある地方都市を 通してリアルに描いている作品でした。私はその場所で数年、汗と土にまみれて田んぼ や畑仕事を本格的に経験しました。この田畑や隣接する神社から、満開の桜越しに富士 山が良く映え、この季節が、米作りの始まりを教えてくれました。

  もう一枚の印象的な富士山の景観は、中央市のアピタ付近の釜無川土手沿いから望む 富士の写真です。「・・・釜無川の土手沿いは遮るものが少なく、富士山や御坂山系の 眺望を楽しむことができる」と紹介されていました。(そうそうとうなずく。)17年 間、釜無川周辺の川原で観察会を通して身近な自然に関わって来ました。ここから見る 風景が好きであることに加えて、何時でも手軽に行ける手の届く、手取り早い私の原風 景です。川沿いの大きな柳の木や荻の群落は、周囲の山々と調和し懐かしいと言うか、 郷愁を感じさせてくれる心象風景です。たくさんの子どもたちもこの場を背景にして遊 び、育てられてきました。しかし、ここ数年で川原の風景が大きく様変わりしました。 河畔林が切られ、環状道路や大きな商業施設、無線鉄塔など人工的な構造物が増えてい ます。

  サウダーヂはポルトガル語で郷愁、憧景、思慕、切なくも追い求めつつされど叶わぬ ものという意味があります。川原の荒削りな風景や人の営みのにある田んぼの景色、 ここから望む山々の風景は私にとって、心の世界遺産なのです。私のサウダーヂなので す。人それぞれにサウダーヂがあり、心の深奥で温められています。だからこそ、古里 の風土をいつまでも敬愛をもって、風景の中に求めるのかもしれません。私はそれを大 切にしていきたいと思います。

変わらぬ大義 2011.12なとり義高

40年以上前のアフガニスタンは緑の大地に覆われていました。7千メートル級の山々の雪どけ水が大河となり無数のカレーズ(伝統的な地下水路)が大地を潤し、豊かな農村地帯を形成していました。しかし、度重なる異常気象が人々を苦しめ、農地は砂漠化していきます。このアフガニスタンで28年間にわたる医療支援と水源事業、農業復興に取り組んでいるペシャワール会の中村 哲医師の講演を聴く機会がありました。山岳地帯に診療所を開設し治療のかたわら、清潔な水の確保のため井戸を掘ります。水害や干ばつに苦しむ人々にとって命をつなぐ水、清潔な水は多くの病を治すことになります。そして、2000年アフガンを大旱魃が襲い、人々がアフガンの大地を離れていきます。翌年の9.11同時多発テロ事件による報復爆撃が追い打ちをかけ、200万を超える人々が難民化していきます。そこで、「百の診療所より一本の用水路」を合言葉に、この灌漑事業がその後の活動の大きな柱となります。

 「アフガン問題は、政治や軍事問題ではない。パンと水の問題である。命の尊さこそ普遍的な事実である。」世界がテロとの戦いに突き進み、日本でも自衛隊の派遣が叫ばれていた時であり、「自民党だとか共産党だとか問わず、一人の父親、母親としての皆さんに訴える。くりかえすが、大旱魃と飢餓対策こそが緊急課題である。」中村 哲医師の国会での発言は、多くの人々の心を動かすこととなりました。

 現地の人々と作り上げた用水路には、日本の伝統的な河川技術が使われています。暴れ川を治める石出し水制、霞堤、護岸を守る蛇籠、堤防沿いに柳の木が植えられ、さながら日本の原風景をみるようです。今、不可能と言われた25.5キロのマルワリード用水路が完成し、60万の人々の命を育む水が大地を潤しています。60万本の植樹が、死の沙漠を緑の楽園に変えました。これこそが新時代への萌芽、希望をかき立てる自然からのメッセージだと中村 哲さんは言います。

 日本では、戦後を上回る205万人の生活保護者を抱え、東日本大震災復興費や原子力災害の莫大な社会保障費に悩まされています。日本の現状や世界を覆う貧困や飢餓を思う時、ペシャワール会のアフガン復興に多くを学ぶことができると思います。

 「アフガンは明日の世界の現状、日本の未来でもある。」「慈しみの心を身近な人に」そんな中村 哲さんの言葉に心を強く揺すぶられました。弱い者を助け、命を尊重する・・・変わらぬ大義がここにあります。

 

 

新時代を生き抜く   2011年9月1日
頭を垂れる稲穂の中を、にぎやかにイナゴたちが飛び遊び、空には子育てを終えたツ バメがアクロバット飛行で忙しそうに空を舞う。16年目の米作り、今年もなんとかおい しいお米が収穫できそうです。
  今年は、早い梅雨の訪れと土用の涼しさ、蝉は一度に鳴きだしたり、蜂の少なさには特に 天変地異の不安を感じさせます。それでもこの季節の夕暮れ時ともなると、毎年変りなく 涼しげな虫の音色が聞こえてきます。ススキやヨモギの草の間からリーンリーン、チーン チーンとコンサートのようです。土に触れる生き方が、季節を感じる力を大きく授けてく れました。
  オギの群落がたなびく姿をながめながら、子どもの頃誰しもがしばし風流を楽しんだ、 50年前の季節感を大切にした営みに思いを馳せます。 野の花を飾り、旬の果物や野菜を添えふかしたての団子を供えます。親から受け継いだ十 五夜かざり。 ちゃぶ台には、手間ひまかけて作られた手作りの料理がならぶ一家団欒のひ と時です。 ちょっと不便で貧しい時代でしたが本当の食べ物を食べ、すきとおった水をのみ、明るい 笑顔や絆でむすばれていました。
  次々に生み出される便利な家電製品に囲まれ、スピードを重視した現代社会。締め切った 窓からは季節の訪れを感じさせる音色は伝わってきません。 忙しい忙しいと心が失われていく。効率や利益優先な生活には限界が訪れているのではな いでしょうか。

 今、東京〜名古屋間2027年開業を目指すリニア中央新幹線計画が進んでいます。 東京から名古屋を40分で結ぶ超高速社会は、地域に大きな課題を投げかけています。 私は、リニアに頼らない地域づくりが必要だとの思いを強く抱いています。 ちょっと前の日本の暮らしの中に、ポスト・スピード社会を生き抜く大きなヒントがある と考えています。自然の移り変わりを楽しみ、五感を大切にした季節の営みの中から、命 が輝く活き活きした街の創造が生み出され、リニアに頼らないまちづくりができると考え ています。
  新時代は失われたものを探しだすのではなく、伝習や風土を愛する生き方を求めていま す。 時速500キロの車窓から見える風景は、私たちになにをもたらし長いトンネルの先にある 未来には、なにが待ちかまえているのだろう。


  覚悟に勝る決断なし   
  耐えきれない問題を抱え、その場にただ立ちつくし、見て見ぬふりを決め込むか逃げ出してしまいたい。そんな衝動に駆られます。余震や計画停電が続いた3月27日、東日本大震災に見舞われた宮城県仙台市若林区六郷中学校へ、救援物資を届けに行ってきました。瓦礫と泥。付近には名取川があり、その周辺は見渡す限り360度が津波に飲み込まれていました。動くものは自衛隊の車両や迷彩服を着た隊員、まるで戦争のさなかにワープしたかのようでした。船が大地によこたわり、田畑は海水にまみれ、海と川が押し寄せ、ひねりつぶした物に埋まってしまったのです。もう二度と田んぼなんか出来っこない。復興なんて、無理。誰もがこの惨状に言葉を失い、絶望のどまんなかで灯りを探したのだと思います。
 さらに、私たちを不安と恐怖におとしいれたのが福島の原発事故でした。見えない敵である放射能は、容赦なく魔の手を広げ山梨にも「死の灰」の雨を降らせました。原発は「核の平和利用」という言葉で推進されてきましたが「原発安全神話」は崩壊し、被爆国である日本の原発が再び「ヒバクシャ」を生んでしまいました。大きな地震と津波、原発事故という複合災害を目の当たりにして、成す術もなくかたずをのんで眺めているだけの毎日でした。海も大地も放射能で汚染されてしまった街、私たちは大きな試練を背負わされてしまいました。地震大国日本の海岸に54基もの原発をつくってしまい、逃げるところはどこにもありません。
 逃げ出さず立ち向かう事は、被災者の痛みを共有し、被災地で必死に生きている人と共にあることです。被災地の復興や放射能汚染による子どもたちの「内部被ばく」の問題は、長期にわたる監視とできる限りの回避が必要です。行政に働きかけ根気ある防護対策を講じていかねばなりま津波で襲われた街並せん。汚れなき大地と海、つながる自然と地球の命たち、これら全部を取り戻すことこそ失ってしまった子どもたちの信頼を、回復させることができるのです。私にとって「3.11後の世界」は、生き方を問いただされる日々の連続です。覚悟をして今を生き、明日を信じて決断する毎日です。
 東日本大震災で失われたあらゆる命のご冥福を祈ります。被災されたすべての方々の暮らしが少しでも早く安定されますよう心から願い、共に支え歩みます。

 

 

 

政治家には4年に1度、生存をかけた選挙があります。冬の寒さにも負けずに2期目の選挙に、名執はチャレンジしました。おかげさまで1016票と、前回から111票も多く、皆さんのあたたかいお心をいただくことができました。誠に身の引き締まる思いでいっぱいです。選挙には様々な規制があり、公職選挙法では当選のお礼や礼状も書いてはいけないことになっています。何か言い訳のようですがなかなか挨拶ができず、申し訳なく思っています。
 今回の市議会選挙は、国政の混乱から政治不信が広がりそんな影響か、地方政治へも投票率の低さとして現われたと思います。「政治には期待できない」市民の厳しい気持ちの表れと感じています。私自身は選挙期間中、市民との約束を何度でも自らに言い聞かす、その試練の場として街頭に立ち語って来ました。「政治をあきらめない!」「みんなで変えることをあきらめない」この誓いを4年間の活動の原点にしていきたいと考えています。

気になるあの子  2011年3月3日なとり義高

  議員の仕事は市民の声を聞くことから始まります。最近のご意見の中にアピタ周辺の通学路が危険、感知式の信号が青に代わるのが遅過ぎるというものがありました。早速、ウオーキングを兼ねて現場主義の実践です。このあたりのラッシュアワーは朝7時30分から7時55分だと分かりました。アピタ北側の市道を横断しなければならない所が、実は一番危険なのではないか、と私は思っていました。ところがアピタのガードマンの方が、毎朝しっかり誘導してくれているので安全だと分かりました。一方、南側の信号があるT字路は、自転車通学の学生や通勤車両が多く、信号待ちの歩道に児童がたまると結構混雑します。歩行者用の信号機の押しボタンを試しに押すと、数十秒で青信号に代わったのでそれ程児童が長く待つ事はないと安心しました。感知式の信号もこの時間帯では1分も待つことはありませんでした。ただ、児童がふとしたはずみで車道に飛び出さないようにと気配りは必要でした。こんな風に、実際に現場につき自分の目で確認すると、危険とされてきたものの原因や本質がわかってきます。私は、通学路の危険よりむしろみんなに溶け込めないあの子が気になりました。あいさつを返しながらふざけ合う子、はにかむ低学年、寝坊して走ってくる子。ちょっと不安を抱えているなと感じられる子も見られます。毎日顔を合わせていると、そこを通りすぎていく人たちの人生が垣間見えてきます。辛いこと悲しい事たくさん抱えて悩んでいるのか?・・・そんなあの子が明日は、目を合わせてあいさつしてくれるかもしれない。地域のみんなのやさしいひとこととあたたかいまなざしで。


 

  2011年元旦


  新年明けましておめでとうございます。 
 朝7時24分、東の山間から昇る初日の出を拝みながら2011年への思いを誓いました。「自分たちのまちは自分たちで創り、守り育てて行く」この決意は名執自身への日々の問いかけであり、市民との約束の原点です。
 今、日本社会は雇用が奪われ格差社会が急速に進み生活保護世帯は140万世帯を超え、自殺者は10年以上3万人超を記録しています。地域の商店街や町工場などの中小企業の活気が失われ、教育や医療、介護の問題の中にも格差が増大しています。一年前、政権交代にこめられた期待は、もはや国には一切頼れないという失望で瀬戸際までおいこまれてしまいました。
 先日、放映された「やねだん」を紹介したNews23(TBS。12/23)の放送から大きな力をもらいました。柳谷(通称やねだん)は鹿児島県の大隅半島の山奥、電車もバスも走っていない場所にある限界集落(*注)です。10年以上前、過疎高齢集落の「やねだん」が、行政に頼らず独自のアイデアで地域活性化に成功した話でした。休耕地を公園に作り替え、住民総出でサツマイモを植え、収穫した芋で焼酎をつくり販売。その収益を子どもに勉強を教える寺子屋の運営費に充てていました。「やねだん」の活動から住民自治の理想を見ることができました。更に、みんなの魅力や役目を引き出す公民館館長・豊重哲郎さんというリーダーの存在が大きく光っていました。「成功への大きなヒントは住民の意識改革であり、感動し合い、感動を共有すること」彼のこの言葉は変革者の心に深く届き、私には勇気が湧き上がる思いがしました。
 16年前、身近な自然を大切にしたまちづくりを目指し、まちづくり時習塾の活動を始めました。数々の活動から自らが行動し、身近な顔の見える市民と共に実現していくことの大切さを学ぶことができました。地域の人と想いを共有してまちをつくる「やねだん」の真髄と、想いは同じだと力が湧きとても嬉しく感じたひとときでした。
 「市民と実現宣言2」は、みんなが輝くことの願いが込められています。私が地域にこだわる理由は、みんなが喜びあえる地域を、その地域に住むみんなの力で創っていきたいという思いがあるからです。人任せにせず自らが動かなければ何も変わらない。国を変えていくのは地域の力であり、地域の人による地域の人のための政治こそが地方の民主主義であると考えるからです。そしてひとりひとりが輝く星になり、手と手をつなぎ想いを重ね、大きく光る地域をつくっていきたいのです。

 

 

 

16球目も直球で勝負    2010年12月1日 なとりよしたか

 

 「光陰矢のごとし」2007年1月の市議会選挙初当選から、あっという間の4年が過ぎようとしています。16回の全力投球を誓い、気を抜くことなく挑んできました。私は、高校野球で汗をかき精神的にも鍛えられてきました。その体験を活かし議員になれたら一球入魂の球児魂で休むことなく毎回議会で質問し、16回の一般質問全部に挑戦しようと決めていました。おかげ様で風邪をひいて欠場することもなく、4年間で31項目のテーマで行政当局に質問し、議論を展開し深めることができました。実際に一部は事業や計画がスタートしました。
 議員の質問の中には、稚拙なものもあります。これに回答する行政職員はどんな感情を抱くのか想像してみてください。心の中で馬鹿にすることにならないでしょうか。簡単で型どおりの答弁に終始してしまうかもしれません。市民の代表としての議員はどんな行動をとるべきでしょう。中央市の将来に向けた大切な政策を導き出さねばなりません。優秀な職員と向きあい本気で互いが競い合うことから、共に働く意識が芽生え、そこから大きな変化を生み出せる何かが始まるはずです。
 私は、一つの質問に多くの時間をかけ調査し、関係する文献を読み裏付けするデーターも集めます。これを質問要旨に簡潔にまとめ全文を当局に提出し、質問時間20分以内でしめくくります。答弁を含めての50分間は、互いに緊張でピリピリするやり取りの連続です。議員が磨きぬいた質問をぶつけることで互いが切磋琢磨することになり、議会の雰囲気はずいぶん変わるものです。現に4年前とは大きく変わり、質の高い議論がなされつつあります。これは市民力と合わせて必ず、中央市を変える力になると実感しています。
 1期目の任期最後の議会が12月7日から始まります。16回目の登板として一般質問に臨みます。
また、来年は、新春早々2期目に向かってチャレンジする年を迎えます。私の議員として行動の原点は、「いつでも・どこでも・誰のためにでも」の精神で、みんなが元気になるために働くことです。地元の商店街が活気を取り戻し、お年寄りが堂々と生きていけるまち、いじめなんてない、みんながほっとするまちづくりを目指して日々実践していくことです。どこでも全力投球、いつでも、矢のような直球で勝負しています!

           グローブの写真

 

ネットで絆はつくれない  2010年9月1日

 

 今年8月、総務省は教育改革として学校デジタル化を進めるため、文部科学省と協力してフューチャースクール推進事業をスタートしました。全国で10校を選定し、全校生徒に1台ずつ電子読書器(iPadの様なもの)が与えられ、電子黒板が全教室に設置され、校内無線LANを整備し、協同プラットホームを利用し授業がおこなわれるのだそうです。教科書や副読本など教材もテストの問題もすべてデジタル化にします。学校から本がなくなり先生がいらなくなる?今、小中学校の授業風景が大きく変わろうとしています。
  7月27日、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告が東京地栽の本人質問で、弁護人から事件を起こした原因を尋ねられ「三つある。わたしの考え方、(インターネット)掲示板での嫌がらせ、掲示板に強く依存した生活の在り方」と述べ仮想世界を自分の居場所にしていたことを「ネット掲示板に原因」とメディアが報道しました。携帯電話やメール、パソコンなどない時代に少年期を過ごした私たちにはそんな馬鹿な事があるかと思える事件が、子どもたちの周りでも起きています。インターネットを介した大麻や薬物の売買、児童ポルノや性犯罪や、いじめなど最近の報道でも数多く目につきます。情報化社会は果たして子どもたちを守ってきたのでしょうか。
  情報機器が発達していない時代は、人と人のふれあいから逃げられず、いやな奴にも直接顔を突き合わせて話すことが当たり前で、結果として相手の良さもわかったり誤解も解けたりしました。あの時はあの人に助けられた、この人に出会っていなかったら今の自分はなかったという経験は誰にでもあったはず。怖い先生だったけれど自分を認めてくれた恩師がいます。周りにはいろんな人がいて、おせっかいなおじさんや、おばさんがいっぱいいて、ちょっと苦手だったけど、子どもたちを地域全体で見守っていてくれました。
  小さな1冊の本との出会いで人生が変わり、人との出会いで生き方が変わります。 中央市の子どもたちの未来がより多くの人とあたたかい関係や関わりが持てるように、私たちは大きな責任を持たされています。地域の絆を再生するのは電子機器や情報インフラではなく「人」であると信じます。人を大切に、思いやりやぬくもりのあふれる街にしたいと強く思っています。

 


 ここにいるよ、まっているよ  2010年6月1日 名執義高

毎年、田植えが始まる頃、各地で蛍の便りが届きます。石垣の田んぼの小川に舞う蛍、その様はメダカが群れ泳ぐ姿と共に日本の原風景でもあります。15年前、メダカを守るために休耕田を借り、復田のためヨシに覆われた田んぼを耕し、懐かしい風景を再現した「めだかの里」を作りました。当時、農業従事者でもない私たちが、田んぼをするということは制度的にもハードルが高く大変苦労をしました。その中で救われたことは、山之神のおばぁちゃんたちとの出会いと田富北小学校2年生との米作りが出来たことでした。田んぼの代かきや田植え、何もかもが初めての私たちに笑いながらおじいちゃんが手ほどきして教えてくれました。手で植えるのは昔のことと言いながら、でも体が自然に素早く動く姿に私たちは驚き、おばぁちゃんたちを田んぼの神様と呼ぶようになりました。その神業の数々は苗を植える時のしなやかさと力強さ、稲刈りの鎌の音、手品のような稲の束ね方だったりしました。田んぼに足を取られ抜け出せなくなった子を励ましてくれ、怖がる子どもたちをやさしく勇気づけてくれました。おばぁちゃんたちにとっては神聖な田んぼ、子どもたちがはしゃいでふざけると時には、しかってくれました。「孫と一緒に田植えができるとは思わなかった」と言いながら、地域の子どもたちに声を掛けます。80歳を過ぎても軽やかな身のこなし、活き活きした笑顔からは高齢化の文字は見当たりません。子どもたちがめだかの里で直接体験した一つ一つが大きな意味を持ち、生きる力になるはずです。同時に田んぼが引き出す子どもたちの輝きは、私たちの力の源にもなっていました。
 15年間続いた田富北小学校との田植えの歴史が、蛍の便りが届く前に消されます。新しい学校教育指導要領で取り組む時間が制限されるとの理由です。田植えや稲刈り、そしてお祭りもなくなるそうで残念でなりません。総合的な学習、ゆとり教育が見直され先生方も翻弄させられています。何かが変わろうとしていることに言い知れない危惧を感じています。
 めだかの里で初めて田植えをした子どもたちは、社会人として世間の荒波にさらされているかもしれません。「ナトリさんたちは、いつでもここにいるよ。また田んぼをしにおいで、待っているよ。」と毎年語ってきたこの言葉を、子どもたちがいつまでも忘れないでいて欲しいと願っています。

〜 宮沢 賢治    稲作挿話「あすこの田はねぇ」より 〜
		しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねぇ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのようにさ
吹雪やわずかの仕事のひまで
		泣きながらからだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
・・・・雲からも風からも 透明な力が そのこどもに うつれ・・・・

 

 

連帯社会へ       2010年2月14日 なとり義高

「ほっとけない」「手づくりの温かい食べものを食べさせてあげたい」と始められた甲府カトリック教会の炊き出しがきっかけで、昨年12月、県内の10の民間団体が「やまなしライフサポート」を設立した。
 毎週木曜日、週一度の炊き出しに50人余りの路上生活者や生活困窮者がやってくる。彼らの話を聞き、就職先や住居の確保、生活保護申請など手助けする。この炊き出しに毎週参加して3カ月になろうとしている。お勧めメニューの一押しは、カレーライス、隠し味のスパイスは甲府カトリック教会秘伝だ。とにかくお代りのスピードがやたら速い。額に汗をためておいしそうに食べているのだ。何日も食べていない人もいそうだし、週に一度の大切な栄養補給の時とばかりに楽しみにしている様子で、帰りにはフードバンクに寄せられた食料のお土産もあるからなおさら嬉しそうである。
  人ひとりを助けるにはとても覚悟がいる。と私は思う。困窮者を支えるにはその人と一生付き合い、関わり合うことであり、家族の一員と思うことでもあると考えるからだ。その思いは、ともすると責任感から自分自身を追い詰めることにもなり、崇高な精神に縛られ自分の大切なものを犠牲にし、心や健康にダメージを与え、あげくに自分自身が困窮状態になってしまいかねない。そんな重荷をみんなで支え合う。ひとりの小さな力や勇気をみんなが出し合える仕組み「共助」がライフサポートの役割かもしれない。
  家族や地域のきずなが断ち切られ、社会から孤立していく無縁社会のなかで、孤独死や生活困窮者が増えている。この問題を解決する取り組みである「やまなしライフサポート」に身を置き、市民の力で連帯社会をつくりだす一歩にと考えている。どんとこい!である。

メ モ
県のまとめによると、高齢者約20万9千人のうち、独り暮らしは1割以上の約2万8千人。
県警捜査一課によると、昨年度の独居老人の孤独死は169人。
前年より24人多く、今年に入っても増加しているという。(2009.12.21山梨日日新聞より抜粋)

 

 

 

塚ちゃんのこと 2009年11月28日 名執義高

 ホームレスの塚ちゃんとの出会いは、98年「のじれん」という野宿の人を支援する団体と一緒に、明野村へ玉ねぎの収穫にやって来た時でした。お酒を飲むと無邪気に楽しそうに笑うのが印象的でした。のじれんのスタッフは、ほとんどがお金のない若者たち、そんな彼らがより貧しいホームレスの支援をしているのに、正直驚きを隠せませんでした。
 あれから8年間、塚ちゃんは田富に住み、農作業の手伝いをしながら自立を目指しました。私たちはあの若者たちの持たざる者たちへの姿勢にうながされ、塚ちゃんの暮らしを見守っていました。ナス切りやキュウリ、トマトの収穫で夏は忙しく働けましたが、冬の間の現金収入を得る方法が見つかりませんでした。その頃、湯浅さんはのじれんを出て「もやい」という野宿者の自立をサポートするNPOセンターを設立していました。埼玉から何度も塚ちゃんの為に来てくれました。「仕事を休む連絡をしない。食べ物がなくなるとフラフラしながらやって来る。そうじをしない。」など私たちの一方的な文句をうなづきながら聞いてくれました。医者にもかかれず腰を痛めてきつい仕事ができなくなった時も、「塚ちゃんの好きなようにしたらいいんだよ」と優しい目で塚ちゃんの選択を待っていました。3年前、生活保護の申請をすることになり、塚ちゃんは湯浅さんと東京に帰って行きました。帰る家などどこにもないのに。
 11月22日の山日新聞によると、失業者が12か月連続増加過去最悪385万人に迫るとの報道がありました。製造業の派遣切りが相次ぎ、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が出現した昨年暮れよりも90万人以上増加し、雇用情勢の改善や貧困対策が緊急の政策課題となっていると書かれています。その派遣村の村長が今、新政権の国家戦略室参与に就任している塚ちゃんたちの仲間でもある、あの湯浅 誠さんです。
 派遣村の光景を見た時、私は阪神大震災の時の公園にあふれる被災者の姿を思い出しましたが、「これは、災害ではなく人災なのだ。」と何もしない政治に怒りを持ちました。しかし、自らがどう動いてよいのか、塚ちゃんのことを思い出すと体が動きませんでした。人をひとり助ける覚悟を持つ勇気が湧かないのです。そんな情けない私を、もう一度生活困窮者問題に向かわせたのが、湯浅さんも関わったことのある「フードバンク」*という取組でした。「すべての人に食べものを」フードバンクという挑戦が山梨でも始まったのです。

*米国では40年以上の歴史がある活動で、品質には問題ないのに包装や印字ミスなどで、販売できない食品を企業から提供してもらい、必要とする人々に無償で配る活動。日本では04年、米国人のチャールズ・E・マクジルトン氏が「セカンドハーベスト・ジャパン」を設立し、「もったいない」をありがとうへと循環させるフードバンクシステムを確立した。
                       ナス、トマト、きゅうり       

幸せ大国をつくる

 世界で最も地方分権の進んでいる国がスウェーデンだと言われています。政治の決定は、その影響を受ける人の近くでされるべきだとの信念を持ち、30年ほど時間をかけ、地方分権を完成させました。スウェーデンには、日本のような突然の解散総選挙はなく、4年に一度、国・県・コミューン(市町村)の選挙が一斉に行われ、投票率は80%以上が当たり前になっています。選挙は比例代表制で、政治家個人を選ぶのではなく政党、つまりは政策に投票します。さて、日本では「歴史的な政権交代選挙」といわれるこの度の衆議院総選挙にどのくらいの有権者が意志表示するのか、今(8月26日)、私は期待しています。
 スウェーデンのコミューンは小さな巨人に例えられます。市民にとって身近なことはすべてコミューンの管轄で、独自に所得税率を決定でき、エネルギーや廃棄物処理費なども住民から徴収し、事業収入としています。そのため国に依存することなく、独自で特有な施策が効率よくできるのです。またコミューンは地域の最大の雇用者である場合が多く、人口の10%程度が職員になっているので、社会的影響力も大きいのです。
 議員は時間給で、夕方自分の仕事が終わってから議会に出席します。一般市民も議会に参加でき、事業に関する質問ができます。委員会も議員だけでなく民間から各種専門家が加わり、予算や施策を策定します。
 星団新聞に毎号掲げている「なとり義高政策早見図」は、私が立候補した時のマニフェストですが、その中に議会改革があります。「議会に行こう!休日・夜間議会の開催」を約束し、はじめの一歩として2008年3月と9月議会で日曜議会が実現できました。一方で行政負担が重く、費用がかかるなどの理由から中止しようとする意見があり、今年度はまだ一度も開催されていません。昨年開催された2度の休日議会は、平日よりも格段大勢の傍聴者が参加していたにもかかわらず続行しようとしないのは、開かれた議会を逆行させることにならないでしょうか。議会を市民に理解してもらうためには、傍聴できる機会をより多くつくり、「歓迎する!」方向に変え、事前に議案書の配布や貸出しを行う、ホームページで話し合う内容を公開するなど、情報を市民と共有しておく必要があります。また、議員の自己評価制度や議会報告会の開催は、議員の基本姿勢として必要であり、定期的な公聴会の開催なども含めた「議員基本条例」として定めていく議会改革はさらに必要であると、私は考えます。
 スウェーデンの底力、コミューンの地方自治が国を動かし、環境・福祉の先進国にしました。
スウェーデンの持続可能なまちづくりは、「自分たちのまちのことは自分たちで決める」と市民が主役になり、民主的なプロセスにより確立させました。私は5日間、北欧白夜の国で、どうしたら日本で「幸せ大国」がつくれるのだろかと考え続けていました。

壁とメダカ

 様々な市民活動の中で壁にぶち当たったことは、何回もあります。その度に現況調査をし、何が問題なのか分析しそれぞれ立場の違う人たちと議論し、時には合同で調査し会議を重ね合意形成を計り、短期目標長期的目標を定めそれに至るまでのプロセスをロードマップとして決め、ひとつずつ問題解決してきました。この手法は、14年間の自然保護活動で自ずと体で覚えてきたことですが、議員となった今、政治活動の中で大いに助かっています。国交省や県、町に要望書や請願書を何通提出したかわかりません。現在は一般質問を作成するにあたりこの経験が役立ち活かされています。
 一市民はとても小さな存在です。大きな組織に立ち向かう時、何のツールも持ち合わせていません。しかしたった一人の声、ひとりの思いが磁石のように仲間を集め、社会を動かしてきました。私はそれを市民活動の中で信じることができました。「民主主義は多様な考えを議論し、認め合い、より良い結果を導き出すこと」私の信条です。弱い者や少数意見を踏みつぶさず、調和と調整をはかることが議員の役目だと考えています。
 これまでの自然保護運動は、がむしゃらに反対を唱え推し進めた結果、全てを失ってきました。ゼロではなく30%でもさらに半分でも守るべきものを勝ちとりたい。私は、そんな気持ちで必死にしぶとく交渉してきました。オオタカやカヤネズミ、メダカやカワセミたちが何度もゼロになりかけました。そのたびに「希望」を見出してきました。絶望のど真ん中に実在するという希望を探し続けてきました。
 14年間続けてきたメダカの保護、その片翼の「めだか広場」が今春静かに幕を閉じました。緑豊かなこの場所には44本の樹木が生い茂り、たくさんの生き物たちが子どもたちの遊び相手でした。今はポッカリあいた空の下で工事が始まっています。せつない樹木の伐採を近所の方が見守ってくれました。その目には、涙が浮かんでいました。絶望から救ってくれた真珠のような涙。不思議なことに、私はその姿に突き動かされました。めだか広場はなくなりましたが、「新めだか田んぼ」をそのすぐ近くに借りることができ、今年も田富小学校の5年生とお田植えができることになりました。
もちろん、メダカも一緒です!

まちづくりは100年の大計

 世界中で評判が悪い米国でも、新大統領の就任演説は日本でも大きな注目を集め、眠い目をこすりながらテレビの生中継で聞いた人は多かったでしょう。オバマ大統領は、今日の世界経済の危機、金融危機の原因を「一部の者の強欲と無責任の結果」と指摘しました。この危機は世界の暮らしや仕事の現場を直撃しています。誰もが現状を打破することに消極的であり、悲観的になっています。しかし危機は同時にチャンスでもあります。彼は、国連が主要国に働きかけている「地球規模の緑のニューディール(GGND グローバル・グリーン・ニューディール)」の実行をいち早く公表しました。緑のニューディールは、ルーズベルト大統領が世界大恐慌からの脱却を目指して実施した「ニューディール政策」になぞらえたもので、世界的な金融危機に対する経済刺激策として、環境保全やクリーンエネルギー分野への投資を拡大し、環境対策と雇用の創出、景気浮揚を同時に目指すという政策です。環境や人を犠牲にした繁栄には自ずと限界があり、命を犠牲にした市場主義やマネーゲームは終焉の鐘を鳴らしています。
 「人・暮らし・自然」を大切にする新しい時代を切り開く時なのです。厳しいからと何もせず手をこまねいていては何も変わりません。こんな時だからこそ変えられるものがあるのです。私たちには好材料がたくさんあります。恵みの里山、利便的な交通網と地場産業、健康生活を支える先端医療、まごころ教育と魅力的な人材、独自の文化と歴史、先人の智慧。これらを統合し、将来を見据えた新産業への挑戦こそ、今、まさに成すべき事、成すべき時なのです。人と人が支えあい、信頼しあう絆をたぐる好機なのです。私たちの先人にはできたのです。アフリカ系アメリカ人初の44代大統領の就任演説で、人種を越えてなぜ多くの人が涙したのか、その言葉がもつ力以上に彼の背中に歴史の重みを背負う覚悟を感じとったからではないでしょうか。100年後の中央市のために今、何ができるのか。夢や希望をつぶすのではなく、画一的な街をつくるのではなく、個性をなくす教育をするのではなく、行政や議会に失望するのではなく、未来の子どもたちのために勇気を持ってあたたかい社会へと大きく舵を切っていくチャンスです。
 まちづくりは100年の大計。中央市の緑のニューディールの実現、その船出の覚悟もって私は高部地区の企業立地計画を果たすつもりでいます。共に汽笛を鳴らしましょう。

 

大地の川 2008年11月17日

 皆さんは、知っていましたか?旧田富町でいち早く日の出の見られるスポットを。
 ふるさと公園釜無川の堤防は、初日の出を一番に拝める格別な場所です。太陽の大きさと神々しいほどの輝き、川原を臨むと櫛形山を背景に河畔林とカヤ原が妙に安心感を与えてくれます。そこに次々に光が差し込み、川面や枯れ草の霜がキラキラと輝く瞬間、心が洗われ自然の中に一体化している私がいます。
 懐かしさと安堵さ、体の中の何かと呼応するようで一番好きな瞬間であり場所なのです。ここには臼井沼という遊水池があり水鳥や渡り鳥、魚など多様な生き物たちの生活の場でした。かすかに残る面影は、たぶん私の原風景なのかもしれません。
 この場所に水辺の楽校が計画されて10年。計画地で1999年から始めた「川原の四季」観察会では、多くの生き物との出会いが、この場の魅力を倍増してくれました。夏、魚好きな子どもたちが釣り竿を片手に歩く、そんな川ガキたちで賑わいを見せます。秋には飛びかうバッタ、モズの高鳴き、渡り鳥の訪れと四季折々に姿や趣向を変えて楽しませてくれます。この川原にはまだ、大きな身近な自然が残されています。ふるさと公園の藤棚がある場所は、旧環境庁の渡り鳥観測所が設置されていました。周辺は臼井沼という遊水池で、西側に釜無川、東に常永川、その先に霞堤が南北に位置していました。この霞堤と臼井沼が、大雨の時には水を溜め、時間をかけて下流に流し、日照りの時には釜無川の伏流水が沼を潤していました。ここは渡り鳥の中継地であり、生き物たちのサンクチュアリでもありました。また、歴史的な面からも防災上も大切な機能をもった場所だったのです。
 釜無川や笛吹川をおさめた武田信玄は、多くの治水技術を残しています。信玄堤・御勅使川の将棋頭・霞堤など、水害を水の力や自然の力で治める技術です。昨今、雨水の貯留・地下浸透などの保水技術や雨水利用、遊水池を活用した水害対策が求められています。信玄の治水技術や先人たちが築いた水との付き合い方に、雨水を天水と捉えた自然感に、多くの重要なヒントが隠されています。恵みを与え、営みを支えてきた釜無川。冬鳥が北の国から今年も大海原を越え、この地を忘れずに渡って来ました。私たちも先人の想いを忘れず、「大地の川」とは、みんなの理想の川とはどうあるべきか共に考え、この地と向き合っていきましょう。自然災害とどう付き合ったらいいのか。100年に一度の水害とどう向き合うか。自分自身の心構えをしっかりと持ち、この地の創造をかけ、2009年の朝日に臨みたいと思います。

 世界一小さい釜無川のカヤネズミ     川原の四季自然観察会

  世界一小さい釜無川のカヤネズミ          川原の四季自然観察会

 

平生業成(へいせいごうじょう) 2008年8月27日名執義高
※へいせいごうじょう
人生には、これ一つ果たさなければならない大事な目的がある。
それは今、完成できる。だからこの世に生きている平生(日常)
において早く完成しなさい。

 

 何のために議員になったのか。自問自答させられる大きな問題が6月議会、閉会前日に起きました。現職議長による万引き事件が発覚し、議長辞任に至る報道がマスコミで騒然と繰り広げられました。この不祥事は弁明や擁護する余地のない、議員として恥ずべき行為です。議員や政治への信頼を失墜させ、失望させてしまったことに同じ議員として残念でなりません。市民の皆様へ心からお詫び申し上げます。私たちは貴重な一票を託されて議員となった時、権力を与えられたと同時に市民の代表として倫理観をもった行動規範を義務化されました。しかし、その力の使い方を誤り、市民感覚を忘れ道徳を欠いた行いをした時、自ら議員辞職を決めること、それが議員の責任の取り方だと私は考え、翌日の最終日に提出された議員辞職勧告決議に私は反対しました。議長職を辞任した段階でマスコミ報道による社会的制裁を受け、家族を含めて痛手を受けたことでしょう。議員本人の取り返しのつかない行為が、家族まで社会的に葬ってしまうようなやり方に私は疑問を持ちます。市民の重い思いの一票を託されて議員になれたことを噛み締めて、深く自省し最後の幕引きである辞職という役目は、己でやらせる。それが人情だと私は思いました。今でもその気持ちに変わりはありません。
 「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。…」親鸞(歎異抄 第三章)
親鸞の逆説に富んだ警句を著書「私訳 歎異抄」の中で五木寛之氏は次のように読み込んでいます。「わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるだろう。おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人さえも往生できるのだから、まして悪人は、…」善悪の概念が色々ですが、私はこの場合の悪人を「弱い人」と置き換えることができると思っています。その時一番弱い人の立場に立って考え、必要な手助けをする、その事の達成のため私は議員になろうと思いました。今、議員として発言力を持ち強い立場にいる煩悩具足凡夫な私ですが、自らの業を忘れず、目的のためにわき目も振らずに、障害があってもひたむきに日々、乗り越えていけるか。『平生業成』親鸞の教えに励まされています。
 平安から鎌倉の揺れ動いた時代を生きた親鸞。浄土真宗の開祖として知られ、幼くして両親を亡くし、念仏弾圧で流罪となるなど悩み多き人生を送った。その苦悩は今を生きる私たちに通じ、その決断は現在の闇を照らす光となる。五木寛之の描く連載小説「親鸞」が9月より山日新聞で始まるそうです。末法の世において、すべての人が救われ、最後の一人が救われていく道を見いだした親鸞が私は妙に気になっています。

 

動けば変わるを実感2008年5月28日名執義高

 

初議会から一年3ヶ月が過ぎました。今号は、私の議員活動の総括として、一年生議員でも出来た事をまとめてみたいと思います。当然の事ですが、自身の発案であっても同僚議員や先輩議員の協力、そして行政当局の理解があって初めて実現する訳です。慣れない新米議員の名執は、交渉力とやる気が肝心と粘り腰で活動してきました。星団新聞でお馴染みの「なとり義高政策早見図」を参考にしながらチェックしてみてください。これまでに定例議会が5回開催され、そのすべてに一般質問をさせていただきました。議会前に調査や勉強を重ねる必要があり準備が結構大変ですが、今後の行政の方向性を決定して行く上で大切な提案や、政策提言となりうるので毎回気が抜けません。まだまだ始めの一歩であり、もっと内容を掘り下げ充実させる必要性や継続的に発展させることが今後の課題だと考えています。

〜 議会の活動から 〜

☆開かれた議会を目指して
3月から休日議会がスタート。初日、議場で朗読が行われ、イメージアップと傍聴者増がはかれた。9月には一般質問と代表質問を、土・日曜日に開催予定。

☆中央市の会計バランスシートづくり
広報’08年 2月号掲載のH18年度中央市財政状況を企業会計的に見ると、市民ひとり当たり貸方・資産の部1,577千円に対して、借方・負債の部471千円、正味資産の部1,106千円である。自己資本比率70.2%と借金が少なく健全であり、他市と比較すると借金が少ない事がわかった。(H19.3月一般質問)

☆ユニバーサルデザイン化
長期総合計画への位置づけと教育・福祉・保健拠点施設への導入を提案。 (H19.6月一般質問)

☆多文化共生社会の実現
外国籍児童支援として日本語指導や通訳の増員。不就学児童・生徒対策強化と詳細な実態調査。三カ国語で表記した入学案内を配布。新入生を対象に就学通知を郵送。(H19.12月一般質問)
☆クリーンエネルギー導入
バイオディーゼル(廃食油)利用や、バイオ燃料研究(トウモロコシ・キビの残渣を利用し、エタノールを抽出する)がスタート。地域にあったクリーンエネルギー政策の推進。  (友和会の政務調査より提案)

〜 地域自治会の要望(リバーサイド)〜

★桜並木(北小の通学路)の遊歩道段差改善
自転車の通行も多く、段差があり危険との理由で補修の要望があり、リバー1からリバー3環状道路までの補修を実施。

★リバー1西側外周道路の街路樹剪定方法について
地域の声を活かし従来の剪定方法を改善し、自然に配慮した方法で実施。

★リバー3・中華料理店「玉芳」前通学路水溜り問題
歩道の路盤が波打ち、児童が大きな水溜りを避けるため、車道へ飛び出し危険との相談。大規模な工事になることが予想されたため、緊急措置として6月中、試験的に水抜き穴を開けることが決定。

地域の人の熱意は、名執が動く原動力です。その事を実践したに過ぎませんが、なんといっても自治会役員の方々の努力があってこその成果です。地域の人たちが一所懸命取組むものに議員として現場に赴き、お手伝いしていくのは当たり前の行動に他なりません。

 

 

ほんとうの貧しさ 2008年2月22日名執義高

 

「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。

 だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。」
 マザー・テレサはくり返し語った。
 渋谷の公園では、私が提供した見慣れたドラム缶利用の炊き出しセットのかまどが、でんと据えられていた。大鍋の中身は熱々の雑炊だ。慣れない手つきの若者は、スタッフのようだがホームレスのようにも見える。誰が支援者か支援される人なのか皆目わからない。震災さながらの出来事なのか、夕べの祭りの風景なのか混乱してくる。長い列が出来ていた。数日経てば年も変わる10年前の年の瀬、街は慌ただしく活気を帯びている。私たちも野宿の人の雑炊を、気が引けながらもごちそうになる。大勢で食べたせいかとても美味しかった。整然と片付けられ、医療相談が始まった。雪や雨の続く日、役所が閉まるこの時期の年越しは、路上生活者にとっては命がけだ。生き倒れを防ぐため、仲間どうし声掛けしながらの夜回りも行われている。
 新宿中央公園に向かう。立ち並ぶブルーシートの家、ろうそくの灯火がこぼれてにぎやかな会話が聞こえてくる。街角のちょっとしたスペースに大きなダンボールが棺桶のように置かれている。恐る恐るふたを開け、声を掛けておにぎりとホッカイロを手渡す。返事がないと死人がいるような気がしてくる。ダンボールハウスは寝るための家となり、新聞紙は彼らの貴重な毛布に早変わりする。大都会の片隅でこんなにもたくさんの人が家を失い、居場所が見つけられないでいることが信じられず、この目を疑った。山田征さんに連れられて歩いたこの日の驚きや衝撃は、今も忘れることはない。
「貧しい人たちは、お金を恵まれるよりも食べ物を与えられるよりも、何よりもまず自分の気持ちを 聞いてほしいと望んでいる。実際には何もいわないし、声も出さないけども。」
「日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
1981年4月来日したマザー・テレサの言葉だ。
 あれから27年。日本社会は貧困と貧富の差に苦しめられ、毎年3万人を超える自殺者と野宿者を生み出している。24歳以下の2人に1人がやむなく非正規雇用で働く一方で、大企業はリストラや人件費を削減して史上最高の利益を連発している。さらなる不幸は、隠された貧困と見ざる貧困。強い者が弱い者を叩き、弱い者がさらに弱い者を虐げるという貧困。生活保護世帯は109万世帯となり、最後のセーフティーネットが命を繋いでいる。貧しい人ほど分け合う。「プア・イズ・ビューティフル」「貧しい人はすばらしい」と訴え、最も貧しい人に仕えた20世紀のマザー・テレサの愛の実践は、現代日本社会に何を問いかけているのだろうか。

 

市民がつくる町バークレー2007年11月8日  think globally act locally

「私たち小学校の生徒は自転車通学を希望しています。でも駐車場が少ないので困っています。ぜひ増やしてください。」この発言は、児童会での要望ではありません。正真正銘の市議会においてのパブリックコメント制度に基づいた小学生のスピーチです。「バークレー市民がつくる町」私はこのビデオを観てショックを受け、ある市民グループで上映会を企画しました。2003年3月、折しも米国のイラク攻撃がいつ始まるとも知れない時でした。そんな最中私とFさんは、田富町議会に「イラク問題の平和的解決を求める請願」を提出していました。米国の爆撃が始まる前日の3月19日田富町議会は全会一致でこれを採択し、国に意見書として送付してくれたのを、私は未だに忘れられません。
 話をバークレーに戻します。バークレーは学園都市として有名で、カリフォルニア大学バークレー校がある人口10万人の小さな湾岸都市です。アジア、アフリカ、ラテン系の人々が多く暮らす多民族多文化が共生し、車いすの人たちがごく普通に当り前に暮らすことのできる町でもあります。
 このビデオの中心にあるのは、もの言う事をだれもが恐れていた時、なぜ全米で唯一、アフガン爆撃反対をバークレー市議会が決議できたのかという問いかけです。米国民の92%がアフガニスタンへの報復9・11テロ戦争を支持していた時期にです。この町のどこにそんな力が宿っていたのでしょう。その秘密の数々を、この町の歴史をふりかえりながら解き明かしていくドキュメンタリーですが、そのひとつに毎回市民の声を聴くことから始まる市議会のパブリックコメント制度があります。市民だれでもがカードに名前を書きかごの中に入れておくと、その場で抽選し幸運な10人が3分間スピーチできます。小学生が登場するのも珍しいことではないのです。
 前述の駐輪場の問題は、車いすの女性議員が黒人の女の子の提案を、ぜひ議会でとりあげたいと要望を受け入れました。その他にも400人以上のボランティアが参加する委員会制度。もちろん議会も委員会も夜間開催。さらに、「不都合な真実」を伝える、市民が支える自主ラジオ局の存在など、与えられる情報に圧倒的な偏りと、ある視点の欠如がなされている時代に驚くばかりです。
 参加型民主主義の実践は、人々の自由への努力と多様性を認めるコミュニティがつくりあげてきました。地方自治はさまざまな市民の目線が必要であり、その根っこをつくってきました。35分間の必見映像です!ローカルミーティングでこの作品を参考にしながら勉強会を開催したいと思います。試しにご参加ください。

 

 

市民力に期待  2007.8.15 敗戦の日に なとり義高

皆さんは、議会をどんな所と思っていますか?私は、議会への傍聴や県議会の委員会傍聴など経験していたので「面白いところ」というイメージがありました。しかし、地方議会では少しちょっと?と考えてしまうシーンや発言にぶつかる事もありました。
 まず、傍聴者にとって分かりやすく興味を引くのが一般質問です。お目当ての議員の発言や関心あるテーマに傍聴者も真剣に聞き入ります。結構緊張する議員の晴れ舞台です。一方、分かりにくくつまらないと感じさせているのが、議案審議です。議場で上程された議案を読み上げるだけだったり、表決の際には議論や説明はなく、ただ「第○○号議案…」セレモニー的に採決しているような気がしてつまらないと感じてしまうのです。傍聴者にとってはその内容や背景・審議のようすを知りたいのですが、地方議会では委員会制度が採用されていて行政分野別に、議案は委員会に付託されます。中央市でも総務教育・産業土木・厚生の3常任委員会が設置されています。委員会での審議は、議案や陳情等の内容を検討し、可決、採択など結論をだします。また常任委員会には審査権と調査権があります。調査により問題点の改善、改革への対応策を結論づけることができます。

調査権をフルに使った例では、皆さんの記憶に新しい国会の年金問題、ミスター年金といわれる長妻氏(民主)による追及や、ちょっと古い話では、社民党の辻元氏による外務省追及(疑惑の総合商社発言)などです。大きく国の流れを変えた二つの出来事ですが、地方議会も全く同じと考えています。どんな議案にも議論は必要、議論なくして進歩なしと名執は思うのです。また、委員会の質疑では本会議のように制限はなく自由に発言できるので、それだけ審査や調査が気楽に徹底してできるのです。ここで大切なのは、事前に議案の内容を把握して準備をしておくことで、議員には委員会の質疑で見識ある提言を行うことができたり、大切な注文を付けることも可能です。たとえば、私が所属する厚生常任委員会では、保育園や児童館などの改修時に対する案件に対してシックハウス・化学物質過敏症・アトピーなどに配慮した工事施工を要望したり、福祉・保険・教育拠点施設建設工事の案件にあたっては、ユニバーサルデザインの導入なども提案しました。

地方自治は住民自治が基本です。「市民の政府」は、まさにその地域の住民が未来を決定していきます。中央市では、各委員会は議員7 名・議長・議会事務局・所轄科の14名程度で実施しています。議会事務局に申し込み住所・名前・生年月日を記入すれば、常任委員会も傍聴することができます。(ただし、会場が狭く人数制限があります)国と地方、大きく立場は変われども議員のやる気は同じです。多くの目で見聴きすることでより良くすることができるわけです。議員にプレッシャーをかけたり、やる気度をチェックするためには、市民の監視力を強めなければなりません。その策として議会や委員会を開かれたものにしていく必要を感じています。まずは一般質問から、市民が傍聴しやすい休日や夜間に開催し、ケーブルテレビ放送を行うのも良いと思います。命を大切にした政治を実現するためにも「議員が条例を作る実行力を!」が名執の緊急課題ですが、市民力で議会のレベルUP を図っていきたいと思っています。皆さんに委員会や本会議を是非傍聴していただきたいと思います。

 

16回目の全力投球なとり義高

2月20日から議員としての任期がスタートしました。なとり義高は、座席番号1番で厚生常任委員会と議会運営委員会、そして議会広報編集委員会と3委員会に所属いたしました。ちょっと欲張り過ぎですが、1年生議員ですからとにかくなんでも吸収と思い希望いたしました。

本会議は年4回、3月・6月・9月・12月開催の定例議会と、必要に応じての臨時議会があります。すべての議会で発言できたとしても、任期中4年間で16回の質問しか出来ないわけです。自身が掲げたマニフェストに沿い着実に実行していくために、16回ある本会議では事前準備を万端に整え全力投球し、成果を一つひとつあげていきたいと思っています。その一歩として3月22日の定例議会で初めての一般質問をいたしました。本会議の一般質問は、国会の予算委員会で行なわれている議論を深める一問一答方式ではなく事前に要旨を原稿にし届けておく『事前通告制』を採用しています。「前向きに検討します。」という当局の回答は得られましたが、肩透かしにあったようで、再質問でもテーマを深められなかったと実感しました。質問要旨は、1『地域経営を進めるうえでの公会計の改革について』2『地域安心、安全を守る活動について』3『本気で守ろう!いのちと子ども』の3点に加えて、地域交番の設置箇所を商業施設など人が集まる場所や、犯罪が起きやすい場所にすべきと提案しました。次回6月定例議会には、一度議会傍聴に来てみませんか。