8月11日から12日柏崎市へ行ってきました。お盆の帰省もあり市内への到着は予定より遅れました。高速道路は波を打つように歪んでおり、そこから見える風景はひしゃげた家屋の屋根にかかる真新しいシートのブルーがまぶしく光っていました。
 私は、1995年1月17日阪神・淡路大震災の記憶、神戸の被災者との関わりなどを思い出していました。お盆前に仮設住宅へ移りたいとの要望が多く、現地では急ピッチで建設が進められていました。まちのあちこちで屋根工事や解体工事が着手され、すでに専門工事会社への需要段階に来ている状況でした。
支援も時間が経つにつれ変わります。ボランティアの活動は、県福祉協議会が活動拠点をつくり調整していました。活動の内容は、ガレキの片付けや引越しの準備などですが、避難所では専門家がケア活動をしていました。私たちが活動した柏崎市錦町では、今日から食堂を再開したと店主が言っていました。電気や水道は比較的早くに復旧したそうですが、市内は都市ガスであるためガス漏れ検査やガス管に入り込んだ地下水の排出に手間取り、ガスの供給は20日後だったそうです。3年前に起きた中越地震の教訓に学び、初動体制、対応マニュアル・指針などがおおむね活かされ、3週間目に入った現地には混乱は無く、生活は落ち着きを取り戻しつつあるように思いました。

柏崎市えんま通り商店街「シャッター通り」に深刻な被害。
柏崎市えんま通り商店街「シャッター通り」に深刻な被害

 刈羽村へも足を伸ばしました。断水の主要因となったのは水源地からの本管破損でした。その仮復旧のために片側破損した海岸線を走る道路沿いに、太い水道管が引かれていました。炎天下、命の水を運ぶその水道管には冷たい水滴がついていました。命の雫だと思いました。海岸を臨むと左に柏崎刈羽原発、正面には海水浴場があり少数の家族が涼を取っていました。
 7月16日午前10時13分、原子炉7基のうち4基が運転中(定期検査中を含む)。震度6強の地震に見舞われた世界最大の原子力発電所で、緊急停止した原子炉が安全な状態になるまで20時間余かかったそうです。「原発防災」「原発震災」の脅威を実感しました。世界一の発電規模を持つこの原発で発電される電気は、地元で消費されるのではなく私たち山梨県や関東圏に供給されるものです。クーラーの効いた部屋でいつもの夏と変わりなく、甲子園を見ているのが申し訳ないような複雑な気持ちになりました。施設は8月15日、報道陣に公開されましたが、原子炉の被害状況調査はこれからです。
 地震により昔の土地の地層があぶりだされるといいます。中央市では、釜無川と笛吹川に挟まれた地帯での液状化、地盤沈下による被害も心配されます。これらを想定した市の防災対策を計画していきたいと思います。今回の新潟行きは、政務調査活動の一環として同僚の新人議員(友和会)からの提案が発端となり実現しましたが、私がボランティア活動で学んできた事も「現場の視点」です。引き続き、身近な自然を大切にした災害に強いまちのあり方を模索していきたいと思います。災害を転機とした新しいまちづくりの創造は今始まったばかりです。今後も被災者の励みになる復興支援に協力していくつもりです。

刈羽原発に続く道路。中央に亀裂が入り波打っている。
刈羽原発に続く道路。中央に亀裂が入り波打っている。

 

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新潟県中越沖地震報告2007.8.15

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